こんばんは。よねひろです。暑いですねみずがめ座学校のある都内は猛烈に暑くて、「うう、都会はちがうな。。。炎」などといつも思っています。

さて、今年の夏で学校三年目になりました。毎日通う専門学校や短期大学ならとっくに卒業して就職にいきつくはづですが、スピリチュアルパンダ学校はそうでもなくて、まだまだよーん犬。という感じです。6年とか7年とか通っている人もいるから、そうなるのだけど、よねひろてきには、もうあと1年くらいでどうにかできないか?という希望はある。

「時間がかかるのはしかたないタコ」とはいうけれど、人生後半戦にさしかかろうというところの年齢だからなるべく早く卒業していのは山々。神様よろしく。です。

同級生などと話していると「時間かかるね~ふたご座」という話はよくします。

○○さんは何年かかった、とか△△さんははやかった!とか。

その情報に一喜一憂してもしょうがないんだけど、「我こそは!」と思うよね。

わたしも、上級生になれば、もう少し見えたり感じたりわかったりするもんだとおもっていたけれど、どころがどっこい、そんなに簡単なものでもなく、ナチュラルに生まれつき見える体質じゃないひとはそれは「完全変態(メタモルフォーシスちょうちょちょうちょちょうちょを待たなければいけないわけ。完全変態(メタモルフォーシス)って、蝶がまゆをつくり、蝶へと変わる変容の事をいいますが、それくらい、以前と世界が変わると思う。

急に変わるといいけど、実感としては徐々に変わっていき、きっと、スピリチュアルカウンセラーになってよいよ!と言われる頃には完全変態しているものと思われる。

だけど、普通の道でないし、案内書もガイドもないから、一人ひとりが違う形でかわるから、なんともいえないよね。

蝶みたいに、はっきり形とが、見た目とかかわれば「ああ、あの人ちがうね!」となりますが、見た目は変わらず、中身だけ変容するからちょっと見わからないしね。面白い事ばかりでもないし。(よねひろのばあいね)

授業の初めにお祈りコスモスみたいなものをするのだけど、その時に「友人・知人の霊たち」という呼びかけもあり、霊界通信のお手伝いを乞うのだけど、よねひろは実はこれ「嫌だな~」と思ってたのショック

「友人・知人なんて、縁起でもないよ。よねひろ、まだそんなに年はいってないので、周りに亡くなる人がいるなんて、縁起でもない!」と。

 

「それでなくても、そんなに多くない友人知人があちらにいくなんて、いや!絵文字」と感じていたのに。去年は友人のなくして、今年も3週間前くらいに年上の仲間の訃報をきき、がっくり。。。。

 

別にスピリチュアル学校に入ったからそうなったとはいわないけど、いままでそんなことはなくて、本当に数年で、身近な人があちら側にいってしまうなんて、ショックで。

スピリチュアルカウンセラー目指していたって、霊魂が存在することをわかっていて、肯定していても

「いかないで!」べったん「なんで?べったん」と泣きまくり、凹みまくりで。

亡くなるときも何もわからず、聞けず、感じなく、で、本当に霊媒をめざしてんのかよ!と自分に突っ込みゲッソリ

。テレビドラマのように「はっ!」!!ときづいたり、仲間のピンチをすくう、というドラマ的なこともなく、ただ、普通な人として死を悼む。

年上の仲間がなくなって、通夜に行ったとき、よねひろ、びーびー泣いてたのね。彼女、70代だったの。もっと一緒にいられると思ったけど、突然亡くなってしまって。ガーン

そしたら、他の仲間が慰めのためか、「急に亡くなったけど、介護も、ながわづらいも、なくてよかったよ、あの人らしい」とか、「ぴんぴんころり」とかって。。。あせる

 

「なくなっても見守ってくれるから大丈夫」とか、つまんない、ドラマのセリフみたいなことを言われて、涙が乾いてうまく泣けなくなってしまった。

ちなみにそういうセリフを言うのは同じく70代や、60代後半のおじさま、おばさまです。

 

よねひろは単純にその人がこの世からいなくなた事実が悲しくて、お世話になりっぱなしで、もらいっぱなしとか、お返しできてないとか、彼女の死を悼みたかったんです。じっくりと。

結論付けや見守っている説はどうでもいいんです。

今、この時彼女がいなくなってしまった事実に打ちのめされていたんです。お願いなんで、死をじっくりと、思い出をじっと見つめる時間がないんだか、わからなかった。泣いたら負けですか?

 

「60代とか70代とかになるとむこう(死ぬ)に近くなるから客観的に冷静になるんじゃない?」といわれましたが、まだ若い部類のよねひろにはクールに死に対して対応できることが難しいです。

泣きたいです。泣いてます。そのうち変わるかもしれませんが。

「あの人に会いたい」ですえーん