伊勢機関区さんとお会いしました。 | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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某イベントの間際、お会いすることが出来ました。

 伊勢機関区さんは



 の作者さんで、鉄道模型にとどまらず各方面、とくにまちづくりについては実際に各関係機関との調整なども行うパワフルな方です。

 お作りの蒸機の細密さも素晴らしいのですが、蒸機のいた時代についても詳しく、またそれを蒸機のいた時代のレイアウト作成上でのセオリーとして解説してくれたうえで、現実に5インチ蒸機の運転だけでなく、本物の蒸機の復活運転まで考え、行動しているかたです。

 とにかく知識量が半端ない。自動車を始めとしたエンジンの理論知識もすばらしいのですが、それを学び、体得し、それを発展させていっているところですごいなと。私なんかそのステップ1で足踏み状態ですので非常に勉強になる。

 私自身いろいろとお話ししましたが、じつにお答えも理路整然、シンプルに考える頭脳とそれを支えるバイタリティに感動、目からウロコです。それには現実に修羅場をくぐり抜けてきているものだけのもつ迫力がありました。

 まちづくりにしろ保存車両の保存にしろ、組織運営というのはどうしてもどこかで修羅場になります。
 計算どおりに計画が進むことはむしろ稀です。というか計算どおりだけで満足していては発展しない。そのシビアさのマネジメントにはカーレースでの体験も生きているなと拝見しました。カーレースなんていかにキワキワで持たせるかの勝負なんだから、バブリーなことなんかしている余裕なんかないのです。レースチームとはそういうものです。

 時々勘違いしている人がいるけど、そういう極限を攻めるマネジメントやエンジニアリングでは機械の形式が古いとかそういうだれにでも言える話は一切なしです。有効にいかに限られた予算の中でベスト以上を作るか。ましてプライベーターならレーサーもなんだってします。当然の話。それがわからないのはマンガの読みすぎゲームのやりすぎ。だから必要な性能が出るなら古い機械でも有効活用。それに尽きるのです。

 そういった激務をこなすバイタルティがありながら、それをN蒸機の工作につぎ込むその繊細さ。私なんか蒸機はいろいろと狂うと怖いのでほとんど触れない。唯一やったのはD51 1119とM式1号機関車ぐらい。

 人間には器の大きさというのがあるんだなとまた思いました。私自身何から何までこの人に比べたら小さなコップの中でイジイジとしているなと反省しきり。

 お別れ際に東京駅エキナカの東京炒飯で一緒に御飯をいただきました。エキナカが予想以上に狭くて案内した私の見込み違いで申し訳なかったのですが、それでも美味しく東京炒飯の璃宮チャーハンをいただき、新幹線ホームへ。チャーハン美味しかったです。

 いろいろと時間のない中でお会いする機会を得られたのですが、まさに感服でした。

 なにしろ大宮鉄博に「会いに行きたい罐がいるから行く」という言い方がすでにシブイ。

 最後、新幹線の東京駅最後尾、車止めの近くで出発までのお話でもたっぷり楽しませていただきました。

 蒸気機関車は薬缶でお湯を沸かすみたいにしてと説明しようとしてもいまはティファールのケトルがあるから説明しにくいなんて冗談も。じゃあティファールのケトルを積んだ高速蒸機を自由形で作ろうかとか、じゃあそのケトル用の電源は架線から取るためパンタグラフも搭載、って全然もう蒸機の話でなくなってるがなみたいな冗談。当然お話しした私の脳裏には真っ白いボイラにT-FALと赤字で描かれパンタグラフを振りかざした走るナンセンスともいうべき機関車の構想が、って、作りませんよ! ネタとしては笑えるけど。

 シビアなはなし、まちづくりの難しさも学びました。まちづくりのことをしている、というと「は?」と返してしまう人も多い。
 でもそのなかでまちを作っていき、人々をつなげていくための力。それを深く考えさせられました。伊勢機関区さんの計画は進んでいるけど、私は足踏み状態。もちろん時間のかかることだし、お金をかけてやってしまってはそれは持続的にならない。そこで忍耐も時には必要になる。

 わかっていても、それを体現しつつある人の前で、私はどうあるべきかを深く考えました。そして時にはもっと前に出ることも必要だなとも思いました。

 そんな楽しい会合でした。

 伊勢機関区様、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 参考:参宮鉄道


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