行列のできる不在者投票所に行った後、「抜刀隊」を聞いて泣く。 | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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衆議院選挙、誰に入れるか決めた? ブログネタ:衆議院選挙、誰に入れるか決めた? 参加中

私は決めた 派!

本文はここから


 いろいろと仕事関係で大変なのと、日程でどうしても読めないものがあるので、今日は病院に行って、それと一緒に不在者投票に行く。

 市役所の不在者投票所は行列ができていた。やはり関心が高いのだろう。

 しかし、帰宅して届いていたものにびっくり。

 ここまでなりふり構わないのかと思うと、びっくり。



 ほんと、目先のことしか考えていない。

 いや、目先だったらまだ目の前のことだから仕方がないかもしれない。

 もう目も介さず、脳内で勝手に追い詰まって、自分の信じるものも理想も吹き飛んだという感じ。

 この選挙対策責任者は誰だあ! と海原雄山になってしまいそうな感じに頭に来た。

 本当に情けない。あきれる。

 こんな情けないネガティブキャンペーンを前面にしなければならないのか。

 確かに相手はツッコミどころだらけだ。

 だが、それをののしるところに「士魂」は存在しない。



 家に帰って、偶然youtubeで「抜刀隊」を聴いた。

 「抜刀隊」とは、日本の軍歌である。

 正式には警察の歌かもしれないが、まあ陸自ではよく歌うらしい。

 哀調のようなオープニングから、軽快なリズムへ、そして決意のパート、終末四句の繰り返しへ。

 思えば、この歌は西南戦争で薩摩隼人の示現流にまったく抵抗できなかった明治政府軍、官軍が、剣のできるもので特別に作った抜刀隊を投入して戦った田原坂の死闘を歌ったものである。(wikipediaに記事があり)

 思えば、この国には、様々な思いを持っている人がいて、それぞれに死闘を繰り広げた。

 会津の悲劇、西南戦争の田原坂。維新の時代に、多くの人々が倒れ、生き残った者はその分まで奮闘した。

 それでも抜刀隊の歌詞には、こうあるのである。





 我は官軍我(わが)敵は、天地容れざる朝敵ぞ

 敵の大将たる者は、古今無双の英雄で

 之に従う兵(つわもの)は、共に慓悍(ひょうかん)決死の士

 鬼神(きしん)に恥(はじ)ぬ勇あるも、天の許さぬ反逆を

 起こしし者は昔より、栄えし例(ためし)あらざるぞ

※敵の亡ぶる夫迄(それまで)は、進めや進め諸共に

 玉散る剣(つるぎ)抜き連れて、死ぬる覚悟で進むべし




 こんな哀調の曲であるのに、敵の大将、西郷を古今無双の英雄とたたえる。

 それに従う兵は、こちらと同じく剽悍(荒々しくて強い)の決死の士であるとたたえる。

 そして、鬼神に恥じぬ勇気がともにあっても、天にたいして反逆を起こした側は、昔から栄えたことはないと断じる。

 この覚悟がこの選挙戦にあるだろうか。

 この歌に歌われた相手への敬意と、その敬意を持ってもなお争わなくてはならない、人間として、士としての覚悟はあるのか。




 あえて言おう。

 まったくない。どちらにも。




 情けない限りである。

 あれだけの犠牲で日本を作り、列強に蹂躙されるのを防ごうとともに思った日本人が、立場の違いで争っても、相手に敬意を持ち続けた。

 その魂はどこへ行ったのだ?

 二大政党制と言うが、これでは日本分裂以下ではないか。

 二大政党制のアメリカのオバマもひそかにうまくいっていないが、日本はほぼ機能不全ではないか。

 それでも現場の人間は奮闘している。




 しかし、その舵を取る人々は、なんの定見も、何の覚悟もない。

 これで現場の人間にどう日々をがんばれと言うのだ。

 恥を知れ、と言いたくなる。

 これでは日本の歴史の中で、倒れてきた士たち、そしてそれをささえた農工商の人々の魂は、なんだったのだ。

 情けない。




 政治の本質は、国民のことを思うことであり、その先輩である歴史のなかでの様々な魂を思うことである。

 確かに拙速な対策の失敗など、技術的な失敗は政治家にはあり得るだろう。

 だが、そういうときのために、エキスパートを各官庁に用意しているのではないか。


 ちなみに、「官僚たちの夏」の原作の中に、風越が特許庁に飛ばされるシーンがある。

 その特許庁で風越は就任に当たって言うのである。

「特許法について自分は素人だし、勉強する気もない。

 日本の特許法ほど複雑なものはないと、世界でも言われているという。

 だから、勉強したところで、どうにもならない。

 しかし、君たち(特許庁の官吏)の話を聞き、実現する。

 自分を君たちの理想のために使ってくれ。

 以上終わり」


 こういう姿もあるのだ。

 とはいえ、この「官僚たちの夏」原作には、風越がなぜ権力を持つことになったかと言うところで、商工省の労組の実力者として無能な者を商工省の窓際に置くのではなく、省外に追い出して別の仕事のポストをあてがい、商工省の人員整理を下から進めながら、上からの圧力をはねのけるという姿勢を取ることで支持を得るという部分がある。

 ここはまるっきり今の天下りの構図であるが、当時はそれが必要だった。

 なにしろ国鉄にしろ官庁にしろ、復員してきた人間が多すぎたのである。だから今日眼的な批判は出来ないと思う。

 それにこの「官僚たちの夏」は、そのラストがシャープなのだ。

 日本経済を立て直すに当たって、企業間の無駄な対立をなくし、企業・産業を協調させて機能させ、国際競争力を作ろうという法案を、政治的に無風な状態があるその年に一気に作る、という、官僚による「日本経済補完計画」の話なのである。

 その理想に燃えていた彼らが、あっさり政治につぶされ、もう理想を追うよりも権力と財力の私利私欲に走るか、理想に燃え続けてももう孤立無援で、あとは過労死するしかない、という立場に置かれるという終局図、負けの話であり、悲劇なのだ。

 それがどうにも今のドラマを作る人々には理解できないらしい。作品に流れる時代性やポリシーをどうして理解しないのか。読解力がないとしか思えない。



 話を戻すが、トップとはこの風越の立場であるべきなのだ。ジェネラリストとして、各論はエキスパートとして部下を信頼しつつ、それでいてそれが国民の目線でどうかをチェックする者の、各論には入らない。

 しかし、責任をとる決意を持っている。

 これもまた魂であったはずだ。


 はっきり言って、ラプターにするかスーパーホーネットにするかタイフーンにするかといったFX論争や、国産武器の採用に横やりを入れるというのは、各論にすぎない。

 そんなことはオタクには興味があっても、それは技術的にどうか評価するオフィサーの組織がある。実際に乗って、飛んで検討する人々がいる。そういうエキスパートがいる。

 そのエキスパートを信頼し、大局的にみて、国民に説明できるか聞きながら、判断をするが、各論には入らない、それがシビリアンコントロールではなかったのか。

 ここ数年の防衛行政は、マニア的見地で首をつっこみ、オフィサーの仕事、箸の上げ下げにまで注文をつける、小姑的コントロールではなかっただろうか。

 そういうことをすると、オフィサーたちがその小姑大臣に媚びるバカぞろいになっていって、本当の仕事ができなくなる。

 そういう結果もまた、「下克上」と呼ばれた旧陸海軍と同じ図式になっていくのだ。


 シビリアンコントロールは、ジェネラリストがシビリアンとしてやらなければ、ただただ有害なだけである。



 魂の問題であるべきものが、技術的な細論に小姑的に介入してあらして、いったい何だったんだとなってしまう。

 さらにその上を行くブレジネフ時代の発想でエリツィンから北方領土を取り返す計画をつぶしたバカ女がまた外相などと言うから、あきれるばかりである。


 魂はどこへ行った?

 あの抜刀隊の美学も、魂も、

 ないよ、ここには人の魂なんかないよ!


 と言いたくなる。


 それでも投票はする。

 後悔はしていない。


 どちらを選んでも、地獄しかないのだから。 

 魂の楽園は、地上にはない。

 そう思わざるを得ない。


 恐るべき貧困な国に、日本はなってしまった。

 年収が300万円切ってもいいじゃないか。

 300万円だって、使いようはあると工夫するのが魂だし、

 お金がほしいという強欲しかないなら、何億あったって不安だよ。

 100万円増えるといたって、400万円が300万円しか価値のない経済になっているかも知れないのに。

 それに、ウォール街の金融ゲームで見栄を張れなくたっていいじゃないか。

 魂の強欲競争に参加したって、むなしいだけだよ。



 魂を大事にする国を、守ろうよ。

 八百万の神、魂の幸う国なんだから。


 今の日本の貧困の根元は、すべて、魂の貧困にあるのだ。




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