レンダリング中に考えた林業のこと。 | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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 17:52、レンダリングようやく終わるけど、結果が気に入らない。

 よく考えたら新淡路市+新淡路港+新関西空港を一気にレンダリングした上に雲があって、海がそれを反射してというさらに無謀なことをしているのだった。

 やりなおし!

 ということで、またやってます。

 ちなみにVueのレンダリング時の表示の逆算計、桁が10時間の位まである。

 でも、条件を考えて、最適で無駄のない設定だと、さくっと終わる。

 それにどっちかというとVueのレンダリングはきれいだし速いです。

 さて、あと8分の辛抱。


 ちなみに今日の朝日新聞に読書欄が。というわけではぐノート。

 不況特集が早速。

 でも、経済と政治は、究極的にはどちらかが優位に立つものではなく、並立するものだと思うんだけどなあ。だって世界的に超不況になるとしたら、その分のバランスする富はどこに消えるのか。ゼロサムゲーム論は古いとはいえ、閉鎖系として経済貨幣を考えると、よっぽど経済的に追い詰めれば、まさしく「ルクセンブルグだって剣を取る」ようなことになる歴史があるし、ジリ貧からドカ貧といっても、正直政治的なモーメントも考えると、アメリカもまたWW2で損をしたツケを払い続け、その結果冷戦、現代の対テロ戦争と続くのではないか。

 経済の敵を政治で、という人々もいるし、日本ではそれで改革か保護かの二択になって、痛みを伴う改革を受け入れた国民に日本政府も自民党も痛みだけの改革を与え、しかもその痛みだけを残して改革もなくなってしまいつつある。官邸主導の行政改革も骨抜きだし、霞ヶ関もあいかわらずだし、世の中は結果どんどん世知辛くなる。

 そういう現状で、やっぱり並立することはDAIGOのおじいさんがほめ殺しを受けたり、実質的に市場が政治に不信任案を出すようなケースもあったと金融腐食列島にある。

 やはり政治と経済は並立して互いを刺激したり規制したりする中で、第三の世界が少しずつできているという考えがある。それは市民という左翼が色をつけてしまった呼び名を私は嫌うので、住民と私は呼ぶ。

 住民と行政、政治の共治の時代はいわれているが、先進国ではそれが強くて、第三の柱となりつつあるらしい。街づくりのアイディアの立案、それで損をする人々の説得など、行政にはできないこと、住民一人一人ではできないことをやっているという。

 そういう時代だからこそ、私としては国土計画として、林業の再興が特に注目されてほしいと思う。もう人間は自然に介入したのははるか昔からだ。というより、自然と人間を対等に扱うだけ不遜だ。

 自然の中に人間がいるのは当たり前であり、人間を特別に扱わないといけないときは、それは人間が地球から追い出され、滅びるときだろう。人間がいくら自然を破壊しても、自然の力のほうがずっと強い。

 それよりも、人間が近代以降、とくにWW2以降にやった不始末、林業の崩壊という悪しき政治の結果はもっと論じられるべきではないか。最近ようやく農業が話題にされるが、それ以上に林業への無関心に危機感を覚える。

 林業は律令時代以前からすでに山林を生かし、助け合いながら守っていく制度として進化を続けていた。はっきりいってもののけ姫は想定した時代が1000年近くずれているのである。すでに林業による山林維持はおこなわれていた。もののけ姫は、そのままあった原生林と、それでは生きていけない人間が暮らしていくために必死に林業を行う時代の変化を捉えているが、この原生林と人間の手を加えた林と、どっちが豊かだという比較はできないのを私は現実に林野を歩いてかんじている。

 一番悪いのは中途半端に開発をし、放り出した耕作放棄地と林業放棄林である。とくに林には風が入らなくなると熊も鹿も生きていけないし、またスギはだめだ広葉樹を植えろなんていうのもマスコミ的勘違いである。林業はその土地、その山それぞれの状態を見ながら、適切に樹を植え、下草を刈り、蔦をとる、非常に人類史的な知性の結晶なのだ。

 繰り返すが、人間はもう文明を始めてしまった。その文明で60億生きている。その文明の責任を取るということは、人類として自然とつきあいつづけ、自然を管理するというと言葉は悪いが、しかし決してその自然との付き合いを放棄することではない。そういう放棄だとか自然は自然のままが一番いいというのは都市的な、自然観察の注意のない、土から離れたアニメ的な文明論に過ぎないと思うのだが。

 その土と命を結びつけられない浅薄な文明論を生んだイデオロギーが人類を粛清し、殺しまくったポルポト派になるのも当然のことだ。

 人間もまた自然の一部であり、また人間の中にも自然がある。それを忘れてはならない。その循環の中で考えるのだ。


 というわけでレンダリング中に考えていることを書いた。

 本稿はいずれまとめてプリンセスプラスティックという小説作品に終わらない世界として、その世界を作るグランドデザインとして結実させたい。それは土地政策であり、司馬遼太郎も山田正弘先生も取り組もうとした難題なのだ。

 はぐノートは次のエントリに順延。