ブログネタ:あなたが一番すごいと思う職業は??
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すごい職業というと、どの仕事もすごいと思う。職業に貴賎なし。
私的には航空機のテストパイロットの数々の伝説に感動するし、TVで生放送を仕切る番組のMCやってる人もすごいと思う。だってあと何秒、ってちゃんと分かってしゃべるんだもの。タイムキーパーさんとかいてもかなり大変そう。
でも、貴賎のうちの賎とされている畜産業もすごいと思う。
彼らは私たちのために、愛する動物をシメて、我々に肉を供給してくれている。
彼らの言葉によると、自分たちはその動物のシメられる直前の顔を思い出すと、自分は絶対地獄行きだと思うというのである。それほどに、動物の運命を悟った瞳は胸に刺さるという。
でも、私は彼らが地獄に行くことはないと思う。
それに比べればぼったくりの職業、株が上がった下がったといって騒いで売り買いを増やして手数料を稼ぐ証券や、金に金を貸して回収できないことで国に泣きつき、その結果資本注入を受けて不良債権処理といいながらその実ヤクザ屋さんがおっかないからと処理と言うことでトンずらした銀行なんか、とんでもない。
公定歩合が下がったからと高齢者に投資を勧め、若年者には無理な借金をさせ(なにがマネーにもマナーをだ)、中小企業から貸しはがしをする銀行と、その同列で空売りで大もうけの経済界の人間なんか、あんたらにとっては数字かもしれないけど、その数字で人生の生き死にが決まるのが現代社会なんだってこと忘れてるだろみたいな連中である。とんでもない。
それに、本や新聞が出せるからといって、はたしてそれは表現の自由か、国民の知る権利か、おかしいとおもうような記事を書き散らす連中。クレームを付けて大もうけしたいなんて言う本が出ちゃうんだから、もう三代祟られろとそのウェブ書店のコメント欄に書いた人がいたが、そういう本を守るのも図書館戦争なのかと思えてくる。
図書館の複本問題、単なる公営貸本屋に成り下がった上に千代田区はウェブ配信を始めるなんて言っていた。読者は神様で、作者は霞を喰って生きろと。しまいにゃ「作家なんていくらでもいる」なんて人まで現れた。
別に尊敬されたいとか、それで生活をまかないたいとか、そういうのとは別に書くことが好きなので私は例外としても、その状態をはたして有川浩さんどう解いているのか、読んでみたい。
それにからんで消費者庁といいながら国民総クレーマー時代を作ろうとしている馬鹿な役人と政治家もとんでもない。
とはいえ、同じ政治家でも、地域の活性化に本当に邁進している政治家もいる。補助金を持ってくるだけじゃダメだなんてのは彼らにとって分かり切っている。だから地方の自主財源を考え、がんばっている人もいる。
そして、元に戻るが、世の中自身、どんどん卑しくなっている以上、食肉処理業の人たちにはまさしく高位の存在があなたたちの使命を理解してくださっていますよ、と言ってあげたい。
我々の食べ物は、みんな殺して作っている。レタスだって殺しているし、牛蓋羊だって殺している。
そういう人たちに対して、確かにその現場を知っている人間は、その苦しみを解いてあげたいと手を尽くす。しかし、それを利権にしてしまうとんでもない者もいる。
そう思うと、職業に貴賎なしという言葉が、また貴賎は別の形であるのではと思えてくるのだ。
作家の中には犯罪を助長するバカもいるし、馬鹿なコメントしかできないのに埋め草でコメンテーターになっているバカもいる。表現の自由は確かにある。でも、その自由とは恐ろしいものだとなぜ気付かないのか。
そう思うと、士農工商という身分制度は、機能しなかったにせよ、実はプリミティブなところで意味があったのかもしれないと思う。警察や自衛隊がなければ安全には暮らせないし、農林水産業がなければ皆飢えて死ぬ。そしてその下で、物作りに知恵をこらす人がいなければ世の中はスマートにならない。そして商が一番下なのは、右から左に流すだけの中間マージンだけでもうけるんだからそりゃいいよなあと。
もちろん商業も大事だ。だが、金があれば何でも買えるというのは幻想だ。士、つまり役所や政府がノーを言えば、衣食住の調達は止まってしまう。農家も、うちで食べるだけ作ればいいやと引きこもられては困る。それに工業生産がなければこれまた生活ができない。
こういう哲学が、家康につながるところにあったのかもしれない。
職業に貴賎なし。でも別の貴賎はある。
でも、ちゃんと自分の仕事、自分の道を定めて苦闘するすべての人々で、この世界は進歩してきた。
風の中のスバル、砂の中の銀河と中島みゆきが歌ったが、ほんと、何気ない人でも、その人には果たすべき使命が割り当てられている。天才設計者の周りには、天才的な設計を生かす凡才設計者がいなくてはならないと言うのも当然。天才には天才の、凡才には凡才の仕事があって、それぞれがそれぞれに意義を見いだして働かなければ企業も国も傾く。
我田引水かもしれないが、そういうハイローミックスのような組織を作っていくのも、またこの世界のメカニズムだと思う。
と思うと、メカニズムというものが、一番すごいのかもしれない。誰かが、ではなく、皆が自然に守っている法律や規範というミームが、一番すごいものかもしれないと思うのです。
すごい職業というと、どの仕事もすごいと思う。職業に貴賎なし。
私的には航空機のテストパイロットの数々の伝説に感動するし、TVで生放送を仕切る番組のMCやってる人もすごいと思う。だってあと何秒、ってちゃんと分かってしゃべるんだもの。タイムキーパーさんとかいてもかなり大変そう。
でも、貴賎のうちの賎とされている畜産業もすごいと思う。
彼らは私たちのために、愛する動物をシメて、我々に肉を供給してくれている。
彼らの言葉によると、自分たちはその動物のシメられる直前の顔を思い出すと、自分は絶対地獄行きだと思うというのである。それほどに、動物の運命を悟った瞳は胸に刺さるという。
でも、私は彼らが地獄に行くことはないと思う。
それに比べればぼったくりの職業、株が上がった下がったといって騒いで売り買いを増やして手数料を稼ぐ証券や、金に金を貸して回収できないことで国に泣きつき、その結果資本注入を受けて不良債権処理といいながらその実ヤクザ屋さんがおっかないからと処理と言うことでトンずらした銀行なんか、とんでもない。
公定歩合が下がったからと高齢者に投資を勧め、若年者には無理な借金をさせ(なにがマネーにもマナーをだ)、中小企業から貸しはがしをする銀行と、その同列で空売りで大もうけの経済界の人間なんか、あんたらにとっては数字かもしれないけど、その数字で人生の生き死にが決まるのが現代社会なんだってこと忘れてるだろみたいな連中である。とんでもない。
それに、本や新聞が出せるからといって、はたしてそれは表現の自由か、国民の知る権利か、おかしいとおもうような記事を書き散らす連中。クレームを付けて大もうけしたいなんて言う本が出ちゃうんだから、もう三代祟られろとそのウェブ書店のコメント欄に書いた人がいたが、そういう本を守るのも図書館戦争なのかと思えてくる。
図書館の複本問題、単なる公営貸本屋に成り下がった上に千代田区はウェブ配信を始めるなんて言っていた。読者は神様で、作者は霞を喰って生きろと。しまいにゃ「作家なんていくらでもいる」なんて人まで現れた。
別に尊敬されたいとか、それで生活をまかないたいとか、そういうのとは別に書くことが好きなので私は例外としても、その状態をはたして有川浩さんどう解いているのか、読んでみたい。
それにからんで消費者庁といいながら国民総クレーマー時代を作ろうとしている馬鹿な役人と政治家もとんでもない。
とはいえ、同じ政治家でも、地域の活性化に本当に邁進している政治家もいる。補助金を持ってくるだけじゃダメだなんてのは彼らにとって分かり切っている。だから地方の自主財源を考え、がんばっている人もいる。
そして、元に戻るが、世の中自身、どんどん卑しくなっている以上、食肉処理業の人たちにはまさしく高位の存在があなたたちの使命を理解してくださっていますよ、と言ってあげたい。
我々の食べ物は、みんな殺して作っている。レタスだって殺しているし、牛蓋羊だって殺している。
そういう人たちに対して、確かにその現場を知っている人間は、その苦しみを解いてあげたいと手を尽くす。しかし、それを利権にしてしまうとんでもない者もいる。
そう思うと、職業に貴賎なしという言葉が、また貴賎は別の形であるのではと思えてくるのだ。
作家の中には犯罪を助長するバカもいるし、馬鹿なコメントしかできないのに埋め草でコメンテーターになっているバカもいる。表現の自由は確かにある。でも、その自由とは恐ろしいものだとなぜ気付かないのか。
そう思うと、士農工商という身分制度は、機能しなかったにせよ、実はプリミティブなところで意味があったのかもしれないと思う。警察や自衛隊がなければ安全には暮らせないし、農林水産業がなければ皆飢えて死ぬ。そしてその下で、物作りに知恵をこらす人がいなければ世の中はスマートにならない。そして商が一番下なのは、右から左に流すだけの中間マージンだけでもうけるんだからそりゃいいよなあと。
もちろん商業も大事だ。だが、金があれば何でも買えるというのは幻想だ。士、つまり役所や政府がノーを言えば、衣食住の調達は止まってしまう。農家も、うちで食べるだけ作ればいいやと引きこもられては困る。それに工業生産がなければこれまた生活ができない。
こういう哲学が、家康につながるところにあったのかもしれない。
職業に貴賎なし。でも別の貴賎はある。
でも、ちゃんと自分の仕事、自分の道を定めて苦闘するすべての人々で、この世界は進歩してきた。
風の中のスバル、砂の中の銀河と中島みゆきが歌ったが、ほんと、何気ない人でも、その人には果たすべき使命が割り当てられている。天才設計者の周りには、天才的な設計を生かす凡才設計者がいなくてはならないと言うのも当然。天才には天才の、凡才には凡才の仕事があって、それぞれがそれぞれに意義を見いだして働かなければ企業も国も傾く。
我田引水かもしれないが、そういうハイローミックスのような組織を作っていくのも、またこの世界のメカニズムだと思う。
と思うと、メカニズムというものが、一番すごいのかもしれない。誰かが、ではなく、皆が自然に守っている法律や規範というミームが、一番すごいものかもしれないと思うのです。