技術が魔法へ変わっていく | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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 朝、打ち合わせ。
 以降いろいろとサポートして、昼頃解散。
 
 家に帰って早速忘れないうちに作業。ざっくりと一気に。
 ほぼ完了して、少し休む。
 
 PCの天球儀シミュレーターを探しているのだが、Mitakaとか探したが、うまくいかず。
 と思ったらMitakaplusというモノを発見。
 
 しかしうちのマシンでは動かず。
 
 意外とソフトの相性というのはあって、interVideoというソフトとWindowsMovieMakerは共存できないことがうちでは判明している。
 どっちにしろWindowsNT3.51の段階で人類が作り出したもっとも複雑な構造体だと言われて(たしかギネスに載ったような)、そのあとのが今のXPやVistaなので、まあ仕方がないかと思う。
 よけいなモノはインストールしない。それが鉄則だと思う。

 
 ちなみに「闘うプログラマー」

ついにWindows開発から離れた「闘うプログラマー」:ITpro
 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060811/245690/

 は「原子爆弾の誕生」

原子爆弾の誕生〈下〉/リチャード ローズ
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Amazon.co.jp(なぜか上巻は書誌データなし)

 とともに昔、まとまった時間を作って読んだ。けれど12年近く前なので覚えていないことも多い。今読むと感慨深い。
 アクセス解析なんか見ると、XP系とWin95系の違いをおもいだす。Windows95も98SEもすぐに止まった。そこで私はWin2KもMEにも手を出さなかった。98SEの後継機からXPとした。



 コンピュータは魔法の機械のように思えるときがあるが、一部は魔法で、一部は技術だ。そう思う。
 どれほど現代のエンジニアがコンピュータのすべてについて知悉しているのか、私はわからない。
 画像認識は夢物語といっていた学生さんの頃、もう軍用で画像認識シーカーがあったと記録で知った。
 ナメてません? とメールでよこした人もいたな。じゃあナメられないように作ってくれ。本当に。

 今、コンピュータはNTからXPになったどころか、さらにウェブサービスが進んで、GoogleDocsとか、OfficeLiveなんてものまでできた。これ自身はすばらしいことだと思うし、多くの努力があったことと思う。
 でも、その上でやりとりされる人々の活動をどこまで予期しているのかなと思える設計のサービスもある。

 コンピュータは、その点で、やっぱり厳密ではないけれど、どこか今まで動いていることが奇跡の一つのように思える。
 もちろん技術の結果であることには間違いない。でも、この闘うプログラマーを読んだ感想は、私の言う生命鍵というセキュリティ上のドングルがなくても、これだけエンジニアの労苦と汗と涙とストレスを込められたものが、単なる技術の産物と言うのはあまりにもおそれおおいところを感じる。

 とくにNTの時は時代が時代だとはいえ、今でもいくつかのプロジェクトでデスマーチが行われ、人死にまで起きていると聞く。とある職場では新機材の導入のために作られた部署が毎月社葬だったなどと聞くと、結局技術にすぎないとか、発想がどうとか、根拠のない「ブランド力」なんてものを言い出す連中は、確かに儲かるだろうけど、地獄行き間違いないと思う。

 結局、世の中を動かしているのは様々な分野でのエキスパートであり、そのエキスパートとミックスを組む人々であり、それを支えるエンジニア、サービス業と、本当に職業に貴賎はないと思うなかでも、エンジニアは大変だと思う。

 やはり、何かがこもっているような気がする。気のせいかもしれないけど、この感覚は少しずつ強くなっていくと思う。
 特に、私は魂の不滅を信じている。その魂が全力で作り、全力で訂正したものが、単なる虚ろなデータだとは思えない。逆に言えば、その価値があまりにも青天井とただ働きの合間で定量化できないからこそ、こうしてシステム故障はなくならないけど、かといってかつていわれた全面ダウンにもならないのだと思う。

 もちろんシステム管理のルールもあるから、巨大プロジェクトは小さな初期不良だけで今は普通に動いているものがほとんど、というより、ほぼすべてが動いているからこそ、電車はちゃんと分岐器で進路を決定されて動くのだし、飛行機の運航も整備も航空管制も動いている。

 でも、ムードに踊らされず、本質を見る眼力で、歴史を残していくからこそ、そのシステム管理もあると思うし、そこで簡単に技術は技術、といえてしまうその感覚が恐ろしい。

 その技術にどれだけの人が苦労してきたのか。その想像力のないところが恐ろしい。

 それだったら、正確な理解をと隅をつつくより、いろいろな人々が作ってきたモノなのだ、と敬意を表するべきではないのかと思うし、それはいい意味での魔法としてもいいと思う。

 だれかの思いつきでできたのではない。でも、エース的な技術者はいるし、その人たちが命を削って残したのが今の社会だ。

 それはコンピュータ世界だけではない。他の分野でもいえることだと思う。

 少なくとも、違う分野には違う分野への敬意を持つことは大事だし、文学がすべてを扱えるという思い上がりもただせばならないのは自分でもその要素があるので反省している。

 クロス的に、縦断横断的に知識は広く、深めねばならない。それが知識に血を通わせ、魂にする基礎だ。



 なんだか、いろいろと嫌な思い出を思い返してしまった。

 ただ、一流の人々は、隅をつついただけで全体を無知だとののしりはしなかった。



 いつから、他人のこと、他人の技術や世界を全否定することが当たり前になったのか。

 悲しいことだけど、そういう想像力が働く人は減ったし、想像力を刺激するものも減っているのではないかと思う。


 しかし、本当の評論のない大地に、本当の創作は生えない。

 今の世の中では、本当の評論といえるものがどんどん減っている。

 特に私の世代の力の不足を、私自身についても思う。



 どうやっても、あの一流の先輩たちに追いつけない。


 このまま、終局なんだろうな。


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 ちょっと心が弱っています。

 いや、ちょっとどころじゃないか。