「他人の名作より自分の駄作」は基本である。 | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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ブログネタ:今年の動画大賞! 参加中

 動画の基本は、いがらしみきお(ぼのぼの)が書いていたとおり、どんな名作よりも自分が撮った駄作だと思う。
 で、今年は我が家の動画元年であった。世の中でもそうだったかもしれない。
 それまで動画というと自分でサーバを立てるか、あるいは有料のスペースを借りてアップロードするしかなかったのだが、youtubeが使えるようになり、ニコニコ動画なんてものまで出来てしまった。
 容量はほぼ無制限、そのうえ無料。一時は様々なメディアがビジネスとして成立しないと批判したが、結局今までやっている。
 それどころか、放送法のせいで地方局でしか放送できないことになっている地方局の番組が全国で見られるようになった。それが『らき☆すた』ブームだった。
 そして初音ミクによってDTMファンの腕を競う場にもなったし、またミク以外でも縦笛で難曲挑戦とかもあった。
 まさに2007年はウェブ動画元年であったように思う。
 で、実はうちでも動画をすこしずつやっていた。
 そのなかで、うちのアップした動画でもっとも再生回数が多かったのが、この動画である。
 
  
 
 これは、配線済みの赤色チップLEDをグリーンマックスのダミー踏切に仕込み、交互点滅回路で点滅させ、それにCLIEのミュージックプレーヤーで踏切音を流しただけのものである。
 単純なものだが、意外と多くの方にご覧頂いたようで驚いている。


http://shinawaji2142.dion.jp/yoneden2007_2.htm#fumikiri


 に解説を載せている。

 工作は簡単で、交互点滅回路はエレ工房さくらいさんの通販で入手。中学校の技術家庭で無事にラジオが作れるぐらいだったら難なく組み立てられる。値段も安価。

点滅回路
 一応キットには5mmのLEDが2つついてきて、チップLEDを取り付ける前にテストできるが、細かいことだが2つのLEDのうち、片方は電源から点滅ICを通るだけだが、もう片方は点滅ICから反転回路を通るために光がやや弱くなる。
 それを解消するには、キットの基盤につける5mmLEDを灯りの強い方だけ残してチップLEDにつなぎ、弱い方は5mmLEDをはずしてそのままチップLEDにつなぐと輝度が平均化されるようである。

 TOMIXのTCS自動踏切を使うのも手だが、あれは高いし、それに斜断竿の上げ下げまでやるので、オーバースペックになる場合もある。センサーの置き方も苦労するし、複数の踏切を使う場合はさらにややこしくなる。

 それだったら常に下がった状態にして点滅だけしても良いと思う。

 あと音だが、TCS踏切の音がなんだか私には満足できない。
 それだったらもうPDAとして使うには実用的な信頼性がないとあきらめたCLIE(ホント、オモチャ程度だった)にmp3化した踏切音を再生させるだけで十分である。mp3で、ループ再生させれば十分である。


 でも、良い世の中になる一方、悪い部分もあるのだが、しかし一人で全部やってしまうクリエイターが現れたりと、才能が才能として認められる時代が近づき、その間で旧来の資本やシステムでなんとか守ってもらおうというクリエイターと、なにも失うものはないと飛び込んでいくクリエイターの間で、中堅のクリエイターが一番割を食ったのは動画に限らず出版の業界でもそうだったと思う。
 実に苦しい一年だった。だが、一つの人生の目的に向けてがんばった。

 ものを創造するとき、結果が全てという人がいるし、商業の世界は確かにそうだ。
 しかし、その過程に意味を持てなかったり、それが見えない人は、結局最後までお客さんというか、だまっておやつをまっている3歳児のままだと思う。
 大聖堂のように、一人の人生の仕事は、一生かかって終わるか、あるいは終わらないかもしれない。
 それは私の小説や模型だけでなく、むしろ普通に子供を持った大人なら、確実にわかると思う。

 我々は、日々作り続けている。
 しかし、おそらく完成を見ることのないまま、倒れるだろう。

 それでも、無名の先人たちが得られなかった観客が、今のウェブにいる。
 
 ありがたいことだと思う。
 その点で、2007年は、いつもの年と同じく、終わりであり、始まりであった。

 2008年、政治的に難しい年になるというが、しかし表現の世界に置いては、結局バルザックのいた時代と同じく、モノ作りは苦しいだろう。
 生きるという事は、苦しむことだとも言う。
 苦しむからこそ、必死になる。身を入れる。マジメに取り組む。
 そう考えれば、映像というものを作ることの苦しみがわかって、私としては収穫があった年だと思う。

 たぶん、2007年は、また忘れられない年として、私の人生の中に残っていくだろう。

 2008年、確実に動画を巡る技術は進歩する。そのとき、私はどれだけそれを使いこなせるか。

 道具はそろいつつある。

 使う人の本質が問われる時代に、ついに入ったのだ。


 本稿の終わりに、今年何とか作った中で、一番のものをアップしておきます。 いろいろと反省点がありますが、これもまた私の過程なのです。