1991年7月発行の文春文庫。
1ヶ月ほど前だと思うが、NHKBSプレミアムで映画『蝉しぐれ』が放映されて、久しぶりにじっくりとテレビを鑑賞した。原作に忠実なよくできた映画だと思われ、それはそれで堪能したのだが、そうなると逆に、どうしても藤沢周平の世界に浸りたくもなって、書棚からこの本を抜き出してきた。
藩主の後継を巡る権力争いといえばよくある時代小説のパターンなのだが、そしてこの作品もまさにそれを軸に動いてゆくのだけれど、それ以前に、藤沢周平は清新な青春小説を創造したのだと思う。友情が描かれ、恋の芽生えがあり、しかし出会いと別れに翻弄されつつ、主人公の牧文四郎は確実に成長してゆく。前述の権力争いが作品にサスペンスフルな魅力を添えているのは確かだとしても、そして文四郎の奥義を得た秘剣が冴え渡るシーンが作品に緊迫感を醸し出しているのも確実であるとしても、全体を貫いているのは、若者の清新・清朗な思惟と行動なのである。それかあらぬか、藤沢周平の文章もひときわ瑞々しさを湛えているような気がする。読み終えて、これほど心地よい余韻に浸ることができる小説はそれほど多くないのではないだろうか。
物語は、文四郎と隣家のふくとの静かな交流から始まり、文四郎の父が後継争いの犠牲となって切腹、そしてふくが江戸へ呼ばれ藩主の側室になるという動きで進んでゆく。文四郎は母と逼塞した暮らしを続けつつも、道場へ通い、剣技を磨いてゆく。やがてふくが藩主の寵愛を受け、子を産んで、お福さまと称されるようになる。しかし最初の子は不審な死を遂げ、二人目の妊娠後は、不慮の危険を避けるためお忍びで国元へ帰ってくる。
その頃文四郎は父の罪を許されて郷方周りの勤務についていたが、筆頭家老からお福さまの産んだ子を暗殺するよう命令される。だがそれは、文四郎に罪を着せようという筆頭家老の陥穽で、追手集団も用意されていたのだ。文四郎はお福さまとその子を守るため、必死の働きをする。
文四郎が秘剣を伝授された相手の存在が、この危難から脱出する伏線となっているのも見事だと思う。そして、権力争いが収束して、さらに20年余を経た最終章、藩主が病死し、お福さまは尼になる決意を固めた後、文四郎と再会するシーンが添えられ、淡々とした描写であるにもかかわらずあまりに感動的で、思わず目頭が熱くなってくる。
ふくとの秘められた恋があり、小和田逸平、島崎与之助との友情で結ばれた交流の数々があり、それらが時代小説の枠組みでのなかで伸び伸びと描かれている。自分としては、やはりこれは青春小説と呼びたいという気持が強いのだ。
映画もよかったけれど、やはり小説の味わいはまた格別である。
2014年8月9日 読了
追伸
パソコンを開かない日が続き、読んだ本が溜まってきました。お盆休みに追いつければと思いますが、さて、どうなりますやら?