隆慶一郎 『捨て童子・松平忠輝(中)』 (講談社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 1992年12月発行の講談社文庫。家康の第六子である松平忠輝の半生を描く伝奇ロマンの中巻である。
 上巻では、出生時に『鬼の子』と怖れられ、家康に「捨てよ」と命じられた忠輝が、逞しく成長し、やがて家康にもその能力を認められて、越後福島藩70万石を与えられるまでが綴られていた。
 大大名となったわけだが、忠輝自身は江戸城住まいで、相変わらず市中へ出かけ、傀儡子などの「漂泊の民」と交わり、キリシタンの医師から外国語や医学を学び、施療院で治療に専念する日々である。忠輝本人はキリシタンではないが、この時点で、キリシタンを正しく理解している大名など他にはいない。自然に、全国に70万人ともいわれるキリシタンや、諸国に連携する「漂泊の民」からは、忠輝は希望の星と見做されることになる。
 天下を手中にしたい大久保長安は、秘かに福島藩のキリシタン化をもくろみ、忠輝を将軍とする新体制を作る野望を抱く。加賀の前田家、仙台の伊達家(忠輝の妻は伊達政宗の娘であり、熱心なキリシタン)などと連携すれば、凡庸な秀忠に取って代わることはそれほど困難とも思えない。逆に言えば、忠輝の知らないところで、彼は謀反の張本人にされつつあるわけで、忠輝を慕う雨宮次郎右衛門にしてみれば、それは危険この上ないことなのだ。
 この中巻の前半のハイライトは、『和解工作』の章で描かれる、秀頼の二条城での家康への伺候であろう。秀頼が大坂城を出るまでにも、忠輝の秘かな働きかけがあったのだが、その当日、何と忠輝は秀頼を京都三条河原の雑踏へと案内するのである。このときの秀頼の喜びようが、非常に印象的だ。秀頼を亡き者にしたい集団もあり、危機と隣り合わせなのだが、「漂泊の民」のガードもあり、無事に大坂へ帰ることができた。忠輝は江戸城を秘かに抜け出して秀頼との約束を果たしたわけで、ここにも忠輝の神出鬼没ぶりが表れている。
 忠輝が越後へ国入りしてからの、秀忠が放った刺客との壮絶な死闘が描かれたかと思うと、意外なことからキリシタン禁制が持ち上がり、大久保長安の焦りが募ってゆくなど、後半の展開も賑やかである。長安としては、大御所家康が高齢であることから、家康亡き後に決起したかったのだが、キリシタンが無力化するとなれば計画が頓挫する。長安はいよいよ天下取りに動きださざるを得なくなった。次郎右衛門は忠輝に危難が及ぶのを避けるため、長安の暗殺を決意する。
 そんな折、長安は卒中で倒れてしまう。しかし、彼の計画が一人歩きし、やはり忠輝は危険な状況にある。伊達政宗は家康とも協議し、忠輝をはるかイスパニアへ使節として送り、実質的な亡命をさせようと企図するのだが。
 歴史的な事実に伝奇的な要素を組み合わせたこの手法には、痺れてしまう。キリシタン禁制下、大坂城へキリシタン武士が続々と集まったというのも、その後の大坂の陣を見据えての伏線にもなっているのだろう。秀忠の命令により柳生が忠輝を襲い、忠輝が無類の強さを発揮するのも、実に爽快である。この作品では、将軍秀忠が器の小さな男としてしか描かれないので、気の毒になってしまうほどだ。
 ともあれ、忠輝はやがて謹慎の身となって、配流先で長い生涯を送るはずで、著者はその経緯についても思い切った解釈を用意していることだろう。下巻も楽しみである。
  2013年8月24日  読了