藤沢周平 『風の果て(上)』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 1988年1月発行の文春文庫。つい最近、同じ文春文庫から新装版が出たようだが、自分は書棚にあった旧版で読んだ。およそ25年ぶりの再読である。

 冒頭、藩の主席家老である桑山又左衛門に野瀬市之丞から決闘状が届けられる。市之丞は無禄の厄介叔父であり、又左衛門との身分の隔絶は大きい。しかし、又左衛門はこの決闘状を握り潰すことなく、でき得ることなら対話で決闘を避けたいと、市之丞の所在を訪ね回ることになる。これが、この長編の現在時間だ。

 一方で、市之丞の名に触発されたかのように、又左衛門の回想が始まる。又左衛門は少年の頃は隼太と名乗り、実家の上村家の冷や飯食いであった。市之丞は、通っていた片貝道場の同門である。他に、杉山鹿之助、三矢庄六、寺田一蔵と、計五名が同じ時期に入門した仲間で、彼らはよく連れ立って歩いた。鹿之助だけは、数年前に失脚していまは藩政から身を引いている家の嫡子で、際立って毛並みが良い。他の四人は下級藩士の部屋住みである。本来ならば上士と下士は同席しない不文律があるけれど、鹿之助は偏見のない男で、逆に彼がいるからこそ、五人の纏まりはよかったようだ。そして、道場で最も技が伸びたのが、隼太と市之丞であった。

 この上巻の回想シーンは、さながら青春群像劇のように、楽しく進行してゆく。であればこそ、現在時間で市之丞が決闘を申し込んできた理由が読者にはわからない。いわば、その謎の解明のための回想でもあるようで、この構成の巧みさは読者を惹きつけずにはおかない。

 だが、仲のよい彼らも、否応なく別々の人生を歩まねばならなくなる。部屋住みの身では、婿養子の口を捜すか、そうでなければ一生を厄介叔父で過ごさねばならないのだ。隼太は太蔵が原の開墾に興味を持った縁で、郡奉行の桑山家へ婿入りすることになる。庄六と一蔵も下級武士の家へ婿に入った。そして鹿之助は、家督を相続し、盛大な結婚式を挙げ、次の執政入りを目指す。変わらないのは市之丞だけだが、この頃から、彼には暗い影がつきまとっていくようだ。

 隼太は地道に農政を覚え、飢饉を救うべく進言もし、次第に頭角を現して、代官にまでなった。その間、現政権を握る小黒派が太蔵が原へ水を通す工事に失敗し、鹿之助改め杉山忠兵衛の杉山派が台頭することになった。一蔵が人を斬って出奔するなどのほろ苦いエピソードも交えながら、明るく楽しい青春時代が終わり、現実に相対せねばならぬ壮年期へとさしかかるまでが、この上巻で描かれる回想である。

 藤沢周平らしく、端正な文章で綴られているのだが、ストーリーには起伏もあって、さすがの面白さである。再読といっても、まるで覚えていないのだから、新刊を読むのと同じようにワクワクする。隼太が酒席家老まで進むのはわかっているのだが、そこまでにどのような山や谷があるのか。下巻が楽しみでならない。

  2013年3月30日  読了