有馬頼義 『悠久の大義』 (講談社) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

悠久の大義 (1969年)/有馬 頼義

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 1969年10月発行の講談社版。(例によって画像がないため、写真は自分で撮影したものです。と言っても、表紙カバーではなく、箱入り本の箱のほうですが。)

 「悠久の大義」という言葉は、その意味を噛みしめると、深淵なる何物かを内包しているようである。今日を生きる我々の観念には容易には浮かばない言葉だ。大震災の後に「日本は一つ」などとテレビが訴えていたが、それとも違う、もっと根源的ななすべき道を指しているはずである。

 しかし、その言葉を軍人あるいは兵士が使用すると、俄かに偏向を帯びて、彼らに都合のよい意味合いとなってしまうようだ。この作品は、そのあたりに主題を置きつつ、しかし巧みに娯楽色も絡ませていて、有馬頼義らしい長編になっていると思う。

 昭和24年、26歳の五代信弘が城光寺久里子と出会うところから物語は始まっている。信弘は出版社の社外校正や筆耕仕事で細々と暮らす若者であった。一方の久里子は、陸軍少尉であった夫・城光寺正が敗戦に殉じて自決し、若くして未亡人となっていて、正の当番兵であった笠原茂民に家事一切を任せ、大きな屋敷に二人だけで住んでいた。信弘は久里子に拾われる形で、笠原と同様に、城光寺家の使用人に収まることになるのだ。

 久里子と正の結婚は、戦時下のことで、花婿不在のままで行われた。そして、敗戦となり、正の自決となったときも、久里子は処女のままであった。成熟した美しい未亡人の性的な悩みを慰めるのも、元当番兵であった笠原の役割のようである。

 また、久里子は正の死=自決に疑問を感じている。笠原が何かを隠しているように思っているのだ。久里子が信弘を使用人に加えたのは、正の死の真相を知りたいからでもあった。信弘としても、美貌の久里子を得たいという欲望が芽生え、笠原とは異なる意味で久里子のために奔走することになる。

 こうして、物語は城光寺少尉の死を巡るミステリーと、信弘と久里子の恋の行方を追うラブストーリーとが同時進行してゆく。久里子の歪んだ性的な処理にも触れられる。そして、正の死の根底にあるのは「悠久の大義」だ。とは言え、敗戦時、すべての軍人が「悠久の大義」を重んじて死を選んだわけではないのは周知のごとくであり、そこには秘密が隠されていた。

 正の任地であった千葉を訪ね、正と関係があったらしい女性を探り当て、さらには正の遺品である軍刀の行方を追い、墓地で遺体まで改めるなど、信弘の活動は広範囲に渡る。途中で久里子が実家の離れに移転してからは、笠原を解雇し、信弘一人が同居人となるので、男と女の間の事情の進展も見逃せなくなる。久里子は自らの性の異常性に気づいており、正常化を望んでもいるようだ。

 こうして、少尉の自決の真相に辿り着き、そのとき信弘と久里子の間がどうなるかが、この物語の行き着く先である。ミステリー性も含む作品であるので、ここまでの記述に留めたいと思うが、次から次へと興味を引いて、相当な読み応えであった。好きな作家だから贔屓目になってしまうのかも知れないが。

 それにしても、40年ぶりに読む作品に記憶の欠片もないのは驚くばかりだ。今回も、初読のような新鮮さであった。有馬頼義以外でも、わが家の本棚を見直す必要だありそうである。

  2011年7月18日  読了