1971年9月発行の冬樹社刊。不思議なことに、手許の本の奥付には「三版発行 1971年9月30日」とあって、初版発行日は記されていない。さらには、アマゾンも楽天も、検索してもヒットしないというのも、経験のないことである。(カバー写真は自分で撮影したものです)
有馬頼義という作家が忘れられつつあるなかで、この作品は完全に埋もれてしまったのだろうか、古書も出回っていないらしい。自分のこの記事を読んで、この本を読んでみようと思う奇特な人はいないだろうけれど、仮にそう人がいても、おそらくは入手できないのではないだろうか? だが、こういう単行本がかつて存在したことは紛れもない事実である。(こういう作品の読後感を記すことにどれだけの意味があるか、自分ながらはなはだ疑問ではあるけれど!)
不思議ついでに述べるなら、40年も前に購入した本であるのに、今回が初読であったような気がする。再読であれば、大半は忘れているとしても、どこかに記憶の断片があるはずなのだが、何一つ思い浮かばない。目次を開いて、『憎悪』『華やかな座標』『惑いの夜』『高原暮色』『夜の軍歌』『有明け』とあるので、短編集かと思ったほどである。実際には、作家の女性遍歴を綴った作品で、連作短編というよりは、全体を一編の長編として捉えたほうが正解のようであったのだが。
『憎悪』の冒頭、「小説家久山の、半生の放浪の原点のようなものは、……」から始まって、戦前の父親との確執が描かれるのだが、父親が大臣を勤めたなど、有馬頼義=久山を髣髴させる描写が続いて、著者の自伝的な作品であるのかと思った。伯爵家に生まれ、早稲田に進み、小説家を志して大学を追われ、親に勘当され、芸者置屋の帳場でバイトをする久山は、どうしても有馬頼義その人と結びついてしまう。兵役免除を解かれ、志願して大陸で3年間の兵役生活を送ったというのもそっくりだ。
だから、自伝的作品であるというのも半分以上は当たっていると思うけれど、この作品では、久山の女性遍歴を描くのが眼目であるらしく、しかも対象は芸者に限られているので、そうなると、有馬頼義=久山という図式を100%信じていいのかどうか、自分にはわからない。久山は上記のバイトを経験したおかげで芸者の生態に詳しくなり、作家として講演旅行に出かけた際に設定される宴席が縁で、各地の芸者と付き合うことになるのである。ここで描かれる「半生の放浪」とは、つまり芸者との出会いなのだ。『夜の軍歌』という通しタイトルとなっている章も、宴席で軍歌が歌われるというほどのことで、著者らしく戦争批判を込めた作品ではなかった。
有馬頼義の小説としては、どうにも勝手が違うようである。自分のような凡人には芸者遊びは敷居が高く、そこを久山が手取り足取り解説してくれるという味わいはあるし、長崎の「小雀」など魅力的な女性も登場するのだが、有馬頼義の作品としては、何かが欠けているような気がする。と言うか、一向に有馬頼義らしくないのが、正直、不満である。
それにしても、購入したまま40年間も未読であったものを、ようやく読むことができたのであれば、若い頃の自分に出会ったようで、そのことがすでに自分には感激であった。本との出合いも不思議なものである。
2011年6月1日 読了
