2010年10月発行の文春文庫。
自分は中国の歴史を全然知らないし、『三国志』という著名な歴史書についても、その内容は霧の彼方である。それなのに、宮城谷版『三国志』を決定版と信じて読み始め、一昨年二巻、昨年二巻、そして今年も二巻というペースで発行されたわけだが、こういう読み方には、正直、戸惑いを禁じ得ない。もしかしたら、北方謙三など他の作家の版を読んだほうが楽しめたのではないだろうか? 忘れっぽさを日々実感する現状では、何年にも亘って一つの作品を読み継ぐのは、ほとんど無理なのである。
と嘆いても、着手してしまったのだから、付き合いを続けるべきだろう。(それにしても、ときどき手に余るほどむつかしい本を読みたがるのは、読書の楽しみを逸脱し、苦しみさえ生じて、悪い性癖である。)
さて、この第五巻も曹操の動きを追うことに終始しているようだ。曹操はまず、長安から逃げて河東郡に落ち着いた献帝を奉じることとした。廃墟となった洛陽を経て、曹操は自らの本拠地である許へ献帝を迎え入れ、そこを新都とした。
翌年、曹操は宛に張繍を攻めるが、張繍は賈詡の献策により降服と見せかけて曹操軍の本陣を突いたため、曹操は散々な敗北を喫してしまう。曹操はこの敗戦で長男の曹昂を失った。
曹操の飛躍はその翌年からである。張繍を攻め破り、長年戦ってきた呂布を打ち破って、豫州東部と徐州を制圧した。一方の雄であった袁術は自ら皇帝を名乗ったこともあったが、次第に勢力は衰え、ついに病死してしまう。北方に巨大な勢力を有する袁紹は公孫瓉を滅ぼし、河北を制圧した。ここに、曹操と袁紹の二大勢力が官渡に置いて直接対決となるのだ。
曹操は官渡に塁を築き陣を敷いた。対する袁紹の兵力は曹操軍をはるかに凌いでいる。ここではまず、前哨戦ともいうべき白馬の戦陣における関羽の出処進退が鮮やかだ。関羽は単身で敵陣に乗り込んで敵将の首を打ち、曹操の元へ運んだ後、自らは恩を返したとして曹操の軍を去ってゆく。関羽は劉備の片腕であって、その劉備はいまは袁紹軍にいるのだ。兵を分散させたくない曹操は、これにより白馬を破られる危機を逃れることができた。
曹操の決断は早く、行動も迅速だ。官渡の戦いの要諦は敵の糧道を絶つことにあるとみた彼は、烏巣において敵の輜重隊を襲った。結局はこの烏巣の戦いが両軍の明暗を分けたのである。袁紹軍は総崩れとなった。曹操は追撃で袁紹の首を打つことはできなかったが、失意の袁紹はやがて病死することになる。広大な河北は袁紹の息子の袁尚と袁譚に分裂する。この二人には、もはや曹操に敵対する能力はないであろう。
それにしても、曹操の人材を受け入れる度量の広さ深さはどうだろう。賈詡など端的な例で、長男を殺された相手とあらば恨み骨髄であるはずなのに、有為の人物として受け入れているのだ。すでに父を殺されて徐州で大量虐殺をしたときの曹操ではないのである。
対して、この巻における劉備は捉えどころがない。呂布に徐州を追われて曹操に身を寄せたかと思うと、いつの間にか曹操の敵方に身を投じている。曹操を悩ます動きを見せるが、曹操が直接乗り出すと、真っ先に逃げてしまう。袁紹軍に属していても、少し距離を置いて、敗色濃厚となれば自身に傷がつくことを避けている。信義に欠けるきらいがあって、関羽などの良将が彼に付いているのが不思議なほどだ。
この作品、大量の人物が錯綜する雄渾の物語であって、そういう意味では面白い。ただ、漢文からそのまま転用したような意味も判読も不明な用語が用いられていたりして、読み辛さも相当なものである。故事来歴の引用紹介もやたら豊富であり、それらは有用のようでもあるし、さらに読み辛さを助長しているようでもある。
と、ブツブツ言いながら、続く第六巻に取り掛からねばならない。いささか気が重いけれど。
2010年10月31日 読了
