井上ひさし 『いとしのブリジット・ボルドー』 (講談社) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

いとしのブリジット・ボルドー/井上 ひさし

 1974年3月発行の講談社版。先日、著者の訃報に哀悼の意を表して物置の書棚から持ち出してきたうちの一冊。自分は単行本で再読したのだが、講談社文庫にも編入されていて、アマゾンではともに古書で入手できるらしい。

 我々の年代であれば、フランス女優のブリジット・バルドーを当時のセックス・シンボルとして記憶している方も多いのではないだろうか。自分などは、ボルドーがワインの産地あるいはブランドを示すことすら知らず、同女優を論じたものと思い込み、読後に裏切られた思いをしたことすら覚えている。タイトルは明らかに掛けてあるのに、女優の話題は一言隻句も出てこないのだから。

 全6編の短編集である。初期の(と言っても、後期の作品は読んでいないのだが)井上ひさしの小説の特徴として、言葉やエピソード、あるいは出来事や事件など、ひとたび述べ出すとその関連を矢継ぎ早に連発して畳みかけ、その語りの妙が笑いを誘うという傾向があるのだが、この作品集こそその特徴は顕著で、笑いに満ちている。短い例を上げるなら、「百も承知二百も合点三百もイエスで四百も是(シー)」という調子だ。ストーリーには関係なく、こうした言葉遊びや連想ゲームが挿入され、これが実に面白い。

 『烈婦! ます女自叙伝』は、戦中戦後を逞しく生き抜いた女性を、その長男の視点で描いている。彼女は地元でタブロイド版の新聞を発行し、毎号自叙伝を連載していて、そこには当然に自己を美化するための誇張や歪曲があり、息子である「わたし」の記憶とのギャップが笑いを演出するとい趣向の作品だ。

 『こんにゃく天女とはんぺん才女』は、放送作家を営む「ぼく」の周りの二人の女性との顛末に触れているが、実際の主人公は船山という天才的な詐欺師であると言えそうだ。とにかく「ぼく」たちは徹底的に被害に遭う。そして読者の側からみれば、これが意外に爽快なのである。

 『チキン・スパイ』は、鶏の雌雄の鑑別士として海外でも活躍する弟の羽振りのよさと、兄で放送作家の「わたし」との対比で物語が進行するが、途中から弟にスパイ活動の誘いが来て、最後に見事なオチが用意されるという、凝った内容となっている。冒頭の小火のシーンなど抱腹絶倒であるし、弟が兄よりはるかにしたたかであることも笑いを誘う要素だ。

 『電波大泥棒』は、小さな広告代理店を営む「おれ」のもとに、NHKの電波を使ってコマーシャルを流せないかという大口商談が舞い込む物語だ。「おれ」たちは苦心惨憺の末にFM放送にCMを乗せることに成功するのだが、結末には驚くべき逆転劇が待っている。伏線も的確に張られていて、完成度は高く、面白さは文句なしである。

 表題作の『いとしのブリジット・ボルドー』は、東北の元大地主の土蔵で眠っていたボルドー1834年もののワインを巡る大騒動を描いている。テレビ局のディレクターを務める「わたし」が取材先で見つけ、貴重なものとも知らずにいただいてきたのだ。それを寮の隣室で報道局勤務の藤澤がニュースで流したことから、ドタバタ喜劇に似た展開となってゆく。そして、この作品も、最後には笑えるオチが用意されているのだ。縦横無尽の語り口は冴え渡っているし、これも面白さは卓越している。

 最後の『王様の白切手』は、小さな島の革命・独立をテレビ局が密着取材しようかというお話である。と言っても、人口200人にも満たない島で、およそテレビの映像になるようなシーンにはならず、取材そのものは失敗に帰すのだが。問題は、独立後の経済のために王様が切手を発行し、ようやくそれが収集家に話題になってからである。ここでは笑えない逆転劇が待っていると言うべきだろうか。

 それにしても、かつて読んだ作品を30数年ぶりに再読して、どうしてこれだけ面白く感じるのだろう。

 毎月の文庫新刊を買い求めるより、わが家の書棚の本をじっくり読み直すの一興ではないかと、またもそんなことを思ってしまった。

  2010年6月19日  読了