加藤廣 『明智左馬助の恋(下)』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2010年5月発行の文春文庫の下巻。

 上巻を読み終えた時点で予測できたことであるが、平板な内容であり、基幹のアイデアは二番煎じ三番煎じと言わざるを得ず、盛り上がる場面も乏しくて、すなわち、あまり楽しむことはできなかった。信長の死の真相、あるいは本能寺で遺体が発見されなかった謎へのアプローチは既に『信長の棺 (文春文庫) 』で書き尽くしているのだから、それ以上の新たなアイデアが生まれてこない限りは、敢えて三部作とする必要はなかったように思われる。

 光秀が謀反に動いた理由については、爾来、諸説が語られているわけであるが、そのなかで著者は、信長の狂気にも似た大量虐殺に光秀がついてゆけなかったことを例証しつつ、最終的には、太政大臣・近衛前久を通じて、天皇から「信長を討て」の綸旨をいただけると信じて、決起したとしている。だが、光秀に近侍している左馬助さえ公卿の空手形ではないかと疑うほどであり、光秀の思慮が不足していたと思えてしまう。いずれにしろ、朝廷黒幕説ならば安部龍太郎『信長燃ゆ (新潮文庫) 』のほうがさらに緻密であったし、小説としても楽しめたわけで、その点、この作品は表面をなぞっただけの印象である。そのために、上巻でも書いたけれど、どこかで読んだ話の継ぎ合わせに終始している感が否めない。

 本能寺以降は、光秀と左馬助は行動を別にし、作品は左馬助の活動に軸を移してゆく。本能寺での遺体捜索から、そこに隠されていた秘密に至り、阿弥陀寺の清玉和尚との接触から信長の遺体に対面するまで、三部作の前二作を読んでいなければミステリアスな展開となり得たのかも知れないが、当方としては、ネタばれの状態で読み進めるほかないわけである。

 近衛前久は所在不明となり、天皇の綸旨が下るわけもなく、やがて秀吉との天王山の戦いとなるのだが、そこでも、左馬助は安土城の守りを命じられ、天下分け目の戦闘には参加していない。著者は、左馬助が安土城の美術的価値を認め、後世に残そうと努力したことを書くが、その後に炎上したことには触れておらず、誰の手によって燃え尽きたのかの推理も示していない。これでは片手落ちではないか?

 ついでに言えば、戦に敗れた光秀が落ち武者狩りで討たれる前に身代わりを立てたとあるが、その後の光秀の生死についても言及せぬまま物語を終えている。なるほど、光秀は生き延びて、名を代えて徳川家のブレインになったという説もあって、どちらとも取れる結末にしたのかも知れないが、ここは態度を明確にして欲しかったように思う。

 最後は、左馬助が愛馬とともに湖水渡りをして坂本城へ帰着し、事後の整理を終えて、妻の綸とともに自害するまでである。だが、湖水渡りはかつて講談で聞いたそのままのような気がしたし、ついに最後まで目新しさを見つけられないまま終ってしまった。『明智左馬助の恋』というタイトルにしても、左馬助と綸の間で感動的な恋物語が描かれたわけでもなく、つい、看板に偽りありと、異議を申し述べたくなってしまう。

 というわけで、著者に申し訳ないような気もするが、この作品に関しては、失敗作ではないかというのが自分の率直な読後感であった。

  2010年6月5日  読了