熊谷達也 『相剋の森』 (集英社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2006年11月発行の集英社文庫。先に読んだ『邂逅の森 』と姉妹をなす作品のようである。発表の年次は近く、『相剋の森』がわずかに早いだけだ。そして、『相剋の森』は現代のマタギを自然保護などと絡めて小説化しているのに対し、『邂逅の森』は大正期のマタギの生態をまざまざと再現したものであったけれど、『相剋の森』の2人の主人公・ライターの佐藤美佐子と、熊田の集落のマタギの頭である滝沢昭典のルーツを辿ってゆくと、『邂逅の森』の主人公・松橋富治に行き着くという関係なのである。血脈が繋がっていて、それぞれが曽祖父と曾孫の物語となっているのだ。

 美佐子は仙台でタウン誌の編集に携わってきたが、発行人で恋人でもあった男に裏切られ、傷心のまま東京へ戻って、ライターで自立しようと考え、「マタギの集い」の取材時に知り合ったカメラマン・吉本憲司の助力を得て、マタギの頭の滝沢昭典に接近してゆく。吉本がマタギの言葉として発した「山は半分殺(の)してちょうどいい」ということが、どうしても頭を離れなかったからだ。

 だが、現代のマタギを取巻く環境は単純ではない。人里離れた秘境で独自の伝統を受け継いでゆくという論理は、今日の情報化社会では通用しないのだ。自然保護団体の突き上げもあり、行政の介入もあって、人と熊とが共生して、山を守ってゆくという考えさえ理解されないのである。春に行う猟にしても、有害駆除の名目に頼らざるを得ない。しかも、集落を離れる若者も多く、後継者不足の問題はすぐ目の前にあるのだ。

 この作品は、美佐子の視点と、滝沢の視点とで、交互に語られてゆくのだが、美佐子は熊の人間社会に与える影響や、奥山放獣などの対策など、マタギとも直接に絡む諸問題を呈示し追及する役割を担当し、滝沢はマタギが抱える内なる悩みをクローズアップする存在であるようだ。もっとも、滝沢には妻が戻らぬという不安があるものの、一方の美佐子は取材のためあちこちへ出かけるし、吉本との恋の進展も語られるので、比重が高いのはあくまで美佐子の視点である。

 結局、現代のマタギを描くためには、自然と人間との関わりという大きなテーマに直面せざるを得ず、それは簡単に結論を得ることではありえないため、問題提起に終らざるを得なかったようだ。したがって、小説の出来映えとしては、熊と人間との対決を一直線に追及した『邂逅の森』のほうに軍配を上げざるを得ない。と言うより、『邂逅の森』が図抜けてよくできた作品であったために、相対的にこの作品の評価が下がってしまうのは、やむをえないのではないだろうか?

 現代では、熊と人間の対決以前に、人間同士の諸問題が立ち塞がっていて、それは必ずしも愉快な話題とはなりえないのである。

  2008年2月23日  読了