1380 百花さん、おはようございます 四童 Mail URL 2003/11/23 10:22

あ、ぜひぜひご一緒に。何人かいないと私、くじけてしまいます。


1379 筑波 百花 Mail URL 2003/11/22 21:29

四童さん>
そうでしたか、子規にそう言う句がありましたか。もし有季であれば、≪秋の夕≫としたかったところです。筑波には私の所属する会の主宰がお住いで、誌上によく筑波がでます。最近そちらの句会にも寄せていただいているので、あのような景がすっと浮かんで来ました。
このさい勝手ですが、私も子規を一緒に勉強させていただこうかしらん。買って来なければ。


1378 【子規】寸感4 四童 Mail URL 2003/11/22 21:11

○歌書俳書紛然として昼寐哉
 そういう暮らしをしていたのでしょうねえ。他に「夏嵐机上の白紙飛び尽す」
も。

○庭の木にらんぷとゞいて夜の蝉
 明治時代の人にとって西洋の「らんぷ」はどういう感慨とともに使用されてい
たのでしょうね。

○馬蠅の吾にうつるや山の道
 野趣溢るる句だと思います。

○長き夜や孔明死する三国志
 これも後世に類想句多々のような。

○秋晴れてものゝ煙の空に入る
 こういう「もの」の使い方は虚子に継承されていますよね。

○庭十歩秋風吹かぬ隅もなし
 狭いながら愛着があるのだろうなあ、この庭は。

○梨むくや甘き雫の刃を垂るゝ
 これも後世に類想句多々のような。

○いくたびも雪の深さを尋ねけり
 「あめゆじゆとてちてけんじや」とセットで思い出されますよね。

○蒲団から首出せば年の明けて居る
 病床のままならなさがやけくそのように平坦にタフに詠まれているように思い
ます。

○めでたさも一茶位や雑煮餅
 一茶の「めでたさも中くらいなりおらが春」を踏まえている訳ですが、当時の
子規周辺の一茶評価も影を落としていて、要するに分かる人には分かる気分のよ
うな気がします。私は子規が一茶のことをどのように評価していたのか知らない
ので、その辺の機微は分かりません。

○長き夜や障子の外をともし行く
 先に挙げた「寝るやうつゝ小春の蝶の影許り」とともに障子ならではの句だと
思います。

○鶏頭の黒きにそゝぐ時雨かな
 開花期を過ぎた残骸に雨が降っている光景を、ことさら陰惨に描く訳でもなく
淡々と描写していると思います。

○雪残る頂一つ国境
 「そのまま」の句だと思います。

○風呂吹の一きれづゝや四十人
 実は子規にはことさらに大きな数字を詠み込む癖があり、俳壇を二分する大論
争に至ったと言われる有名な「鶏頭の十四五本もありぬべし」も、そういう癖を
知ってから改めて見ると感興が薄れるものがあります。

○鐘の音の輪をなして来る夜長哉
 「鐘の音の輪をなして来る」という把握は凄みがあります。

○春深く腐りし蜜柑好みけり
 熟し切った果実は確かに美味しいものではありますが、「腐りし蜜柑」と言い
切りなんら技巧をほどこさないところがなんとも子規であります。

○黒キマデニ紫深キ葡萄カナ
 これもまた大食漢の子規ならではの句ですが「黒キマデニ紫深キ」は何やら高
貴ですらあります。

 以上、小室善弘編からの選句でした。どなたか、高浜虚子編、夏石番矢編、大
岡信編などからの選句をお願い致します。もちろん小室善弘編からでも構いませ
んし、オリジナルソース二万余句からの選句なら大歓迎です。


1377 【子規】寸感3 四童 Mail URL 2003/11/22 18:31

○鳴きやめて飛ぶ時蝉の見ゆるなり
 こういう瞬間の把握/拡大/誇張は、その後の俳人によって方法論化され完成
されて行くのでしょう。虚子の「桐一葉日当りながら落ちにけり」や「流れ行く
大根の葉の早さかな」に連なる起源を感じます。

○いろ←く→の売り声絶えて蝉の昼
 芭蕉の「閑さや」の都会版でしょうか。

○汽車過ぎて烟うづまく若葉かな
 明治、ですねえ。「汽車過ぐるあとを根岸の夜ぞ長き」という句もあります。

○行く我にとゞまる汝に秋二つ
 「漱石に別る」の詞書き。手頃な例句が思い浮かばないけど、後世に類句多々
のような気がします。

○門を出て十歩に秋の海広し
 子規には門を出て景が変わる様を詠んだ句が多々あるようです。

○啼きながら蟻にひかるゝ秋の蝉
 「そのまま」の句です。ところでふと池田澄子さんのことを思い出したのです
が、「大地より大空広し霞網」とか「元日の開くと灯る冷蔵庫」と言った、当た
り前のことやありふれたことを詠んですごく異質なことに至ってしまう池田さん
の題材の選び方と、当たり前のことやありふれたことを当たり前でありふれたも
のとして定着させることをもってよしとしていたであろう子規の大いなる方向性
の違いを思います。

○柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
 これはもう、古き良き日本を代表する名句ですよね。

○桔梗活けてしばらく仮の書斎哉
 「漱石寓居の一間を借りて」の詞書き。他に「前田別邸内の小家を借り住みて」
という詞書きで「加賀様を大家に持つて梅の花」という句も。恐らくは家主への
挨拶句であるとともに、環境を移す度に何かしらこのような句を作っては気分を
新たにしていたであろう子規の性分を思います。

○はらわたもなくて淋しや蕃椒(とうがらし)
 植物の実の中身を「はらわた」と捉え、それがなくて「淋し」とまで言ってし
まうところがすごいと思います。この句は「そのまま」シリーズとは一線を画し
ているような気がします。

○病む人の病む人をとふ小春哉
 まだこの頃は病状もよかったのでしょうか。

○寝るやうつゝ小春の蝶の影許り
 障子に蝶の影が写っているのでしょうか。病床で感じているであろう現実のは
かなさが迫ってきます。

○漱石が来て虚子が来て大三十日
 「そのまま」ではありますが、後世から見れば豪華です。

○春風にこぼれて赤し歯磨粉
 感銘を受けた句という訳では全然ないのですが、昔の歯磨粉は赤かったのでしょ
うか。詳しい人、いませんか。

(続く)


1376 【子規】寸感2 四童 Mail URL 2003/11/22 15:03

○日のあたる石にさはればつめたさよ
 視覚と触覚の落差について技巧を施さずそのまま詠んでいます。この「そのま
ま」な感じが人によっては「当たり前じゃん」「どこがいいのかさっぱり分から
ない」という感想に結びつくのでしょう。

○行く人の霞になつてしまひけり
 仙人のような人だったのでしょうか。

○其まゝに花を見た目を瞑がれぬ
 「悼静渓叟」とあります。追悼句として第一級の句ではないでしょうか。

○絶えず人いこふ夏野の石一つ
 そんな石が確かにあります。「あるある」と共感を呼びます。

○鶺鴒や水痩せて石あらはるゝ
 これも一見「そのまま」の句ですが、「鶺鴒や」と切り出しながら、もっと広
い景の中にカメラを退いて行く(「映画の技法で「ズームイン」の反対は何てい
うのだろう?)感があって、実はそのままではないのかも知れません。

○赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり
 秋の空気感がすがすがしいです。

○我が袖に来てはね返る螽かな
 「そのまま」の句です。

○一村は留守のやうなり冬籠
 これも「そのまま」の句です。

○徴発の馬つゞきけり年の市
 馬の時代だったのですよねえ。「馬」と「年の市」の取り合わせでは、「馬の
尻に行きあたりけり年の市」というのもあり爆笑。

○春や昔十五万石の城下かな
 「坂の上の雲」の冒頭で紹介されていましたね。往年を偲ぶ感じと季節感がマッ
チしていると思います。

○日一日同じ処に畠打つ
 これも「そのまま」の句です。

○春の月枯木の中を上りけり
 「月」=秋という図式を破壊し、「枯木」=冬という季重なりも無視して見た
ままに詠んでいるのでしょう。ちなみに昔の歳時記は今よりもずっと季語が少な
く、虚子あたりを読んでいても、今日の歳時記をスタンダードに考えたら季また
がりや季重なりになってしまう句が多々あるのですが、いくら明治時代の歳時記
でも「枯木」=冬だったのではないかと想像できるので、掲出句はそんなことよ
りも「見たまま」を重視しているのでしょう。

○一桶の藍流しけり春の川
 印象的なスナップショットです。一抹の不吉さがよいです。

○短夜を眠がる人の別れかな
 「碧梧桐の東帰を送る」と詞書きがあります。この類の即興の挨拶句はお手の
物だったのでしょう。

○涼しさや松這い上がる雨の蟹
 木を上る蟹の句が確か誓子にもあったなあと思って「季題別山口誓子全句集」
の蟹の項を開いたら、蟹だけで88句もあるのですね。ちなみに蟋蟀は138句。誓
子が「蟹」を季語として詠んでいるのに対し、子規は「涼しさや」と振りかぶっ
ている分だけ冗長の感が否めません。

(続く)