ぱんだが着物にはまったのは2000年(平成12年)の秋のことです。



その年、一ヶ月ほどの日程でヨーロッパ旅行に出かけました。

自然環境も町の景観も、日本とはまったく異なる国々。


イタリアのフィレンツェは町そのものが美術館のようでした。

チェコのプラハはおとぎの国のよう。



そんな中で、ぱんだは自分の生まれ育った国に思いを馳せたのでした。



自分の国のことを何も知らない。

一人では民族衣装も着られないぱんだ。ガーン

これではいけない。

と思い、帰ってきて早々着付け教室のドアを叩きました。



まずは見た目から・・・

ということで。



奥が深かったです。

着付けそのものもですが、着物にまつわる様々なこと。



季節によって変わる柄付け、素材。

時代による変化。



基本的に着物は高価です。

普通の呉服屋さんに行くと数十万円の着物がずらっと並んでいて、店員さんに値踏みされているみたいでゆっくりと鑑賞することもできず、すごく居心地が悪い・・・というのがぱんだの着物とその周辺のイメージでした。



何より「買わされる」という恐怖感。

24回払いとか、ボーナス払いとか・・・

そんなにまでしていらないです!!!

と、ずーっと思っていたのですが・・・



とうとうぱんだは、中村うさぎに比べればどうってことない!!!

って開き直って買ってしまったんです。いろいろと・・・

(当時うっかり読んでしまったのです。中村うさぎさん著の『ショッピングの女王』を・・・庶民が影響されると怖いことになります・・・)

その後数年つらかったなぁ・・・しょぼん



いまではそんなバカな買い物はしません。

着物も一生困らないくらい持ってます。叫び



でも、着物と日本の文化に対する興味は深くなる一方です。

知れば知るほど、好奇心をそそられます。



今では着物も自分で縫ってます。すごいでしょ?

一年に一枚くらいしか縫えませんが・・・



着物は繊維をつくることからはじまって、染めて織って仕立てて・・・

様々な過程を経て、つまりは様々な人の手を経て出来上がっていきます。



現在、着物といえば振袖に訪問着といったハレの日の衣装として認識されていますが、昔は日常の仕事着でもありました。



『聞き書き 着物と日本人 つくる技術、着る技術』

は著者の原田紀子さんが、十数年にわたって取材をした着物にまつわる聞き書き集です。



作者は、絶滅寸前の着物を少しでも復活させたいという願いからこの聞き書きを始めたそうです。



作業着としての着物。

今現在知られているような高価な着物は、決して日常着ではありませんでした。


そしてみんな作業着としての着物を自分たちで作っています。

いらくさや苧麻から繊維をとったり、それを織ったりという作業を農閑期に行ったりしていました。



現在では・・・・・・

テレビをみたりゲートボールをやったりしなくてはいけなくなって、忙しいので作れる反物の量がかなり減ったということを話しているおばあちゃんがいました。



そんなことも確かにあるのでしょうね。


そして稀少になったかつての日常着用の反物は、晴れ着以上の高価な値段で売られるというおかしな現象がおきていたりします。



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着物はまっさらな反物から、着物になり襦袢になり布団の側になり・・・

そして雑巾になって最後は蚊取り線香代わりにもなる。(これはいらくさで作った反物に限りますが・・・)



時間をかけて作られ、手入れされた着物は長い間形を変えて人の役に立ってくれたんです。

実際は着物は作業着としても機能的な要素を持っていたということが、この本を読めばわかります。



伝統工芸。

昔は普通であったものが今ではそう呼ばれて、後継者の不足が問題となったりしています。



手入れに手間のかかる着物たちはこの後、どんなふうに生き残っていくのでしょうか?



この聞き書きに、その答えはありません。



でもたぶん着物は心配するまでもなく後世に残っていくとぱんだは思います。

数年前から古着を扱うお店も増えました。



新品なら何十万円もする着物が古着なら数千円で買えたりします。

この本に登場する古着屋さんが、花火大会で浴衣を着ている若い女性の多さについて触れていました。



もっと安い値段で買えれば、着物はもっと普及するのでは、と言っておられます。



アンティーク着物のファンも増えているようです。



日本の風土の中で生み出された美しい着物。

この衣装と技が未来へ継承されていくことを願って止みません。


原田 紀子
聞き書き 着物と日本人―つくる技、着る技 (平凡社新書)