毎年この時期になると、新年の目標のようなものについて勝手に考えてしまうお母ちゃんです。

 

思えば、子供たちが乳幼児期のころの新年の抱負といえば「寛容に、とにかく寛容になる」でした。

 

水回りの不衛生さや、食品の添加物・農薬、乳児のおしりの肌荒れ原因になるウンチの拭き残しなど、ありとあらゆる細かいことが気になって仕方なかったからです。一緒に暮らすお父ちゃんはさぞ肩身の狭い思いをしたことでしょう。ごめんね、生まれたての弱い小さい人たちの安全と健康の優先順位があまりも圧倒的に上にきてしまったもので…

 

今、子供たちが小学生になって、気をつけなきゃいけないなぁと思わされるのが、つい「ちゃんと」や「きちんと」を使ってしまうこと。

 

「相手の顔を見て、大きな声でご挨拶しようね」って言えばいいのに、

 

なぜか「きちんと挨拶してね」って言いそうになってしまうんですよね。

 

「帰ってきたときは、靴を並べておいてね」っていえばいいのに

 

「ちゃんと靴並べた?」って言っちゃうんですよね。

 

そして使えば使うほど、自分自身がその言葉の呪縛に縛られていることに気がつきます。

 

声のトーンに非難がこめられていることもあります。

 

「ちゃんと」って何ぞや?

 

なんと、曖昧で、主観的で、抽象的な言葉でしょう。

 

なので、おうち英語やっている我が家の場合、そういう時は切り替えて

 

"Line up your shoes, please~!"

 

と明るい声で言ってしまえばOK

 

英語のほうが腹式呼吸言語で音量が大きいので、経験的に遊んでいる子供たちにも届きやすいです。

 

実は、こういう人格形成みたいな大事な部分にも活躍場面があるのがバイリンガル育児だと思っています。自分の生まれ育った環境や文化を客観視して、ほかの文化から良いとこどりを実践できるからです。

 

お母ちゃんはスポーツ科学部出身なので、自分の身体反応を観察する習慣があるのですが(他者の観察もします)、

 

「ちゃんと」「きちんと」って考えているときは、だいたい肩に力が入って呼吸が浅くなっています。

 

伸び伸びと生活していないことに気がつきます。

 

そういう時に良い創造はまずうまれません。

 

何しろうちの男子3人(お父ちゃん含む)は放っておくと家の中にカオスを作り出すので、

 

ある程度ルール化しなければ生活がまわらないのですが、

 

きちんと片付いた家というのは、子供たちの創造性を犠牲にしてまで達成しなければいけないものでもないわけです。

 

産まれてきたからずっと「おうち英語」は遊びの一部でしたが、小学生ともなるとどうしてもお勉強要素が入ってきて「ワークブック」の類を使っていると、つい「ちゃんと」毎日やらなきゃという気分になって自分を焦せらせてしまいます。

 

でもね、もうそんな自分に飽きちゃったんですよね。

 

お母ちゃん自身が「○○べき」と思っていることにも要注意です。とりあえず、不惑の年を目前に自分の思考を疑ってかかることにします。

 

「ちゃんと、きちんと、しっかりと」を手放して、家族との時間を楽しむことを最優先にする2024年にしたいなと思わされています。