佐賀城は享保11年(1726年)の大火で
天守を含めた本丸建造物の大半が焼失したそうです。
政庁である御殿は二の丸に再建されましたが
(100年余り後、天保の火災後に御殿は本丸に再々建される)
天守はそのまま再建されなかったようです。
鯱の門の前(二の丸東側)から天守台を見たところ。
慶長19年(1617年)ころに作成されたとされる
「佐賀小城内絵図」には五層の天守が描かれており
(同図は佐賀城本丸歴史館で見ることが出来ました)
歴史館で見たところ、本丸(の建造物)のところが上下逆に描かれているのと
天守最上部の屋根が本丸御殿と重なっているのとで見辛くはあったものの
たしかに五層に描かれていました。
天守台にあった解説板によると、正保4年(1647年)に記された
「肥前国佐賀城覚書」にも五層だと記載されているようです。
但し、寛永3年(1626年)の御城并小路町図では四層に描かれているとのこと
佐賀城では本丸から天守台に上がることは出来なかったらしく
(これは結構珍しいケースな気がします)
本丸石塁の北(二の丸側)から上がっていたようです。
二の丸の西端付近から見たところ(奥が天守台)。
手前が本丸の石塁で、天守台との間に上り口があります(楕円の写真)。
「佐賀小城内絵図」を見ると、左手の芝生広場が水堀で
石塁との間に(ちょうど写真の舗装された小路の感じで)犬走りがあったようで
天守台への上り口に小さな門が描かれていました。
天守台から上り口辺りを見る。
石塁の向こうは堀で、容易に近寄れなかったことが伺えます。
天守台の上は結構広い感じでした(城跡を見渡せるほどの高さはない)。
楕円の写真は佐賀城天守台址の碑。
解説板によると、天守は破風のない
素朴ながらも実践向きの造りだったということです。
本丸(東側)から天守台を見たところ。






