現在20歳(2024年2月時点)の大学生による、

重度の起立性調節障害(起立性低血圧)/頻脈性体位症候群の闘病のブログとなります。


中学1年生の秋に始まった闘病生活から、高校進学、大学受験等々のビックイベントを、どう乗り越えたのか、あるいは乗り越えられなかったのかという記録を綴る予定です。


今回はタイトル通り、発症前後の私に起こった事についてお話します。


ざっくりまとめると、


①内向的でやや身体の弱い人間が部活でプチ鬱に!


②マイコプラズマ肺炎を引き金にOD発症!


③診断結果はすんなり出たが家族の反応は...!


という感じです。





中学以前は、大病の経験はないものの貧血気味であり、始業式等のイベントは保健室やら体育館のパイプ椅子のお世話になっていました。



幼少期はよく熱を出し、よく吐きました。昔から今も、夏になると尋常ではない程の汗をかき、川に落ちた人のようになります。



父がわりと自律神経が弱く、その遺伝は確実に影響していると思います。



人間関係を築くのに人の数倍神経をすり減らすような生きずらい性格をしていました。

(後々HSP気質であると判明しました。)





運動神経は皆無ながらも足だけは速いという、微妙な能力に何かを期待し、テニス部に入部しました。


しかし残念ながらブラック部活であり、休みの日も明日の部活が怖くてお腹を下すような状態でした。




部活は辞められないまま、秋に私はマイコプラズマ肺炎を発症しました。

かなり重症化し2週間近くほぼ飲まず食わずで寝続け、10kg以上体重が落ちました。




この極端な体重減少が非常にまずかったのです。

自律神経と筋力に重大なダメージを与えました。




ペンを握ると腕が震えるほどに筋力も落ち、部活も当面免除になり安心した矢先に、激しい頭痛で目を覚ましました。

殴られるような痛みと、首を絞められているかのような吐き気がありました。




母と病院で診察を受け、家に帰るや否や父に病名を話すと、


お前嘘ついてるんじゃないか


と言われました。




身体の弱い父が、私を産む時に病状の遺伝について少しは考えたであろう父が、1番言って欲しくない言葉を吐きました。


見た目は元気に見えるので、疑う気持ちはよく分かります。子どもが大病するよりも、嘘をついていたという方が幾分かましだと思いたい気持ちも分かります。


それでもどうか、この病気に罹患した家族をお持ちの方は、例えこれよりどれだけ優しい表現であったとしても、疑いの言葉をかけないでください。



後々父も事実を受け入れ、母からは悪気は無かったはずとフォローが入りましたが、父との間には決定的な軋轢が自分の中に生じました。



 

今回はこのあたりで。




次回は、無理やり学校に行こう!という所から。

よろしくお願いします。





これはすごく美味しかったかぼちゃポタージュの写真です。特に意味はないですが、すごく美味しかったので( *´꒳`*)