僕たちは理性を持ち
文明世界に住んでいます
アリストテレスの原理が
支配している時代でもあります
人間の身体能力より
はるかに巨大な機械の力が
働く世界でもあります
それゆえに
この世界では
素晴らしい身体能力をもった
人間たちは王者にはなれません
悪い時代に生まれた
季節外れの英雄たちは
その巨大な体格と力を
見世物にする力士や
プロレスラーになるより
仕方ないのです
このような時代には
スポーツやエンターテイメントも
もはや1つのショーにすぎない
するスポーツと
見るスポーツは区別され
僕たちの多くは
するスポーツの愛好者から徐々に
見るスポーツの愛好者に変わる
同じく
エンターテイメントにおいても
自らがおいかける夢から
夢をおいかける人を
見る楽しみへと
多くの場合では変わり
人はそれを
大人になったなどと言い訳します
やがて見る文化はテレビ文化へ
それは見るという文化の
発展の極みです
そしてテレビやネットの画面は
まさにアリストテレス的人間を
数多く作り出す
純粋感想の人間
人は小さな箱の前で
1日の何時間かを過ごす
そして昼間の労働で疲れた人は
純粋感想の楽しみを
味わうことによって
おのれの身体と心を休めるのだ
例えばワールドカップで
日本代表が勝とうが
負けてしまおうが
ともに多くの人間の運命に
たいした関係がある訳ではありません
何故なら人はせいぜい
熱気に酔っているか
日本代表のファンだからです
代表チームとの関係は
まったく個人的な
ファンの意思から生まれたものであり
もっと言えば
ファンの意思というより
それはむしろ偶然ですらあります
例えば
たまたま三笘の名前を知った
たまたま遠藤の名前を知った
それゆえに
特定のチームのファンになる
それは1つの趣味の問題です
そしてその趣味
あるいは意思により
ファンと日本代表の
関係が作られる
けっしてファンは
日本代表と運命をともにする
訳ではありません
しかし
ファンはファンの心情において
自分と日本代表が
堅い紐で結ばれているかのような
幻想をいだきます
その幻想が
スポーツの魅力を形成するのです
ファンは日本代表が
ワールドカップで勝ってほしいと
心の底から願い
ファンは代表チームに
自己を同一化する
そして相手のチームは
敵となるのだ
勝った
嬉しい
負けた
悔しい
ここでファンは
このサッカーというドラマの
観衆であると同時に
自らの心において
いつしか現実のドラマに
参加している
ファンは監督のように采配をふるい
選手のように喜びを噛み締めるのだ
この大いなる架空の情熱
それがサッカーというものの
あるいはスポーツというものに潜む
奇怪な魅力でもあり
エンターテイメントでも
似た現象が見られます
そしてそれは
かつてニーチェが夢見た
心身一致の理想に
通じるものであるのです
文明世界に住んでいます
アリストテレスの原理が
支配している時代でもあります
人間の身体能力より
はるかに巨大な機械の力が
働く世界でもあります
それゆえに
この世界では
素晴らしい身体能力をもった
人間たちは王者にはなれません
悪い時代に生まれた
季節外れの英雄たちは
その巨大な体格と力を
見世物にする力士や
プロレスラーになるより
仕方ないのです
このような時代には
スポーツやエンターテイメントも
もはや1つのショーにすぎない
するスポーツと
見るスポーツは区別され
僕たちの多くは
するスポーツの愛好者から徐々に
見るスポーツの愛好者に変わる
同じく
エンターテイメントにおいても
自らがおいかける夢から
夢をおいかける人を
見る楽しみへと
多くの場合では変わり
人はそれを
大人になったなどと言い訳します
やがて見る文化はテレビ文化へ
それは見るという文化の
発展の極みです
そしてテレビやネットの画面は
まさにアリストテレス的人間を
数多く作り出す
純粋感想の人間
人は小さな箱の前で
1日の何時間かを過ごす
そして昼間の労働で疲れた人は
純粋感想の楽しみを
味わうことによって
おのれの身体と心を休めるのだ
例えばワールドカップで
日本代表が勝とうが
負けてしまおうが
ともに多くの人間の運命に
たいした関係がある訳ではありません
何故なら人はせいぜい
熱気に酔っているか
日本代表のファンだからです
代表チームとの関係は
まったく個人的な
ファンの意思から生まれたものであり
もっと言えば
ファンの意思というより
それはむしろ偶然ですらあります
例えば
たまたま三笘の名前を知った
たまたま遠藤の名前を知った
それゆえに
特定のチームのファンになる
それは1つの趣味の問題です
そしてその趣味
あるいは意思により
ファンと日本代表の
関係が作られる
けっしてファンは
日本代表と運命をともにする
訳ではありません
しかし
ファンはファンの心情において
自分と日本代表が
堅い紐で結ばれているかのような
幻想をいだきます
その幻想が
スポーツの魅力を形成するのです
ファンは日本代表が
ワールドカップで勝ってほしいと
心の底から願い
ファンは代表チームに
自己を同一化する
そして相手のチームは
敵となるのだ
勝った
嬉しい
負けた
悔しい
ここでファンは
このサッカーというドラマの
観衆であると同時に
自らの心において
いつしか現実のドラマに
参加している
ファンは監督のように采配をふるい
選手のように喜びを噛み締めるのだ
この大いなる架空の情熱
それがサッカーというものの
あるいはスポーツというものに潜む
奇怪な魅力でもあり
エンターテイメントでも
似た現象が見られます
そしてそれは
かつてニーチェが夢見た
心身一致の理想に
通じるものであるのです