僕たちは、2階の東端にある、4年生教室へ向かうことにした。
昇降口から中へ入ると、廊下にもぼんやりとした明かりが灯っていた。かつてここにあったのは、何十年も前から使われていた古いソケットの蛍光灯だったが、今暖かい色味の光を投げているのは、昼白色の電球を取り付けたレトロな形の電灯だ。
靴箱の間を進むと、上がり框の段差の手前に、小さな木製の看板が立っている。看板には、靴のままで上がるように指示があった。随分と丁寧なことだ。僕とアサギは、カンノを促し、廊下を進む。
木の板を張り付けた廊下の床は、明かりを反射して艶々と光って見える。廊下の床も、2階へ上るための階段の手すりも、磨き上げたようにピカピカだった。
木造建造物独特の香りを嗅ぎながら、僕は周囲に目を配る。この小学校が廃校になってから、確か3~4年経つはずだ。それなのに、なぜこんなにも手入れが行き届いているんだろう。
隣を歩くアサギも、僕と同じような疑問を抱いたらしい。ぽつりと呟いた。
「随分、きれいだね。」
アサギの腕にしがみつきながら、カンノもきょろきょろと首を動かした。
「電気が古くなってない?」
そうだ。校舎の中は、僕らが通っていた頃よりも、時代が遡った印象になっているのだ。それなのに、ところどころに緑色に光る非常灯が設置されているのは記憶の中と同じで、さらに違和感を覚える。
扉が開け放たれた教室の横を通り過ぎる時、室内をちらりと見ると、昔は金属製だったロッカーが、木製のものになっている。机やイスも数が減り、背もたれや脚の部分まで全てが木製のものが数セット、教室の端に置かれているだけだった。
階段を上り切り、教室に面した廊下に到ると、先に校舎に入った2人が教室の前に立ち、こちらを見ていた。
「行くか。」
サイキが身を翻し、開け放たれた昇降口のガラス扉を潜った。ナナセがため息を吐き、サイキに続く。
アサギとカンノは、身を寄せ合ったまま、4年生教室の窓を見つめていた。2人とも、目を大きく見開いたまま、身体を硬直させている。
僕も、気づいていた。そんなはずはない、そんなはずはないのだが。
「どうして」
震える声で、アサギが問う。自分の声で身体の硬直を解かれたのか、アサギは、ぎくしゃくとした動作で僕を見た。その顔には、恐怖と、困惑の表情が浮かんでいる。
「あれは、ヒナ?」
僕たちが彼と別れてから、10年が経つ。小学生の頃の姿しか知らない相手を、ほんの一瞬で見分けられるはずはない。だが、なぜか確信がある。先ほど、窓から手を振っていた青年は、僕たちの傷となって残っている友だち。確かに、彼だ。
ハッタ ヒナタ。
彼は、飛びぬけて美しい容姿をしていた。廃村になるような辺境の村にあって、彼の纏う雰囲気は都会的で、テレビの向こう側にいる人たちのような、特別な存在に見えた。
その彼が成長すれば、当然美しい人になっているだろう。先ほど顔を見せた彼は、教室の明かりを横から受けただけの、顔をはっきりと見られない状況でも、十分に美しかった。
「ねえ、帰ろうよ。」
既に人がいなくなった窓を見つめてぼんやりとしていると、カンノが声を潜めて言った。
「怖いよ。絶対変だよ。」
カンノは、じりじりと後ずさる。そのカンノの腕を、アサギが掴んだ。
「ダメ。マル、サイキの車で来たんでしょ。ここから街まで歩いていくつもり?」
アサギが、カンノを「マル」と呼ぶ。「マル」は、カンノの小学生の頃の呼び名だった。その頃のカンノは、小さい上に丸っこくて、本名のマミではなく、マルになってしまった。
懐かしい呼び名で呼ばれたせいか、カンノの身体から力が抜けた。
「2人とも、教室へ行くの?」
僕は、学校の周りの景色を見回してみた。数年前から企業の工場の誘致が始まったせいで、廃村とはいえ電気は来ている。だが、もともと外灯の数は極端に少なく、付近で明かりが灯されているのは、目の前にある校舎とグラウンドのみだ。
当然、公共の交通機関もない。
僕は、ここまでタクシーで来た。これからタクシーを呼ぶにしても、到着まで30分はかかるだろう。
「ここにいても仕方がないし、中に入ろうか。」
カンノは、本気で僕を止めにかかった。
「だ、ダメだよ!こういう時、映画では幽霊とか呪いとかでぐちゃぐちゃで、みんな次々殺されちゃうんだよ?」
カンノの言葉に、アサギが噴き出した。
「これは映画じゃないでしょ。」
その時、先ほど青年が顔を出した窓から、ナナセが顔を出した。
「何してんの。早く来いよ。」
僕たちには、忘れられない友だちがいる。
忘れてはいけない、友だちがいる。
本当は、とっくにわかっている。ここにいるメンバーの共通点。
問いを投げたアサギも、僕たちの共通項に気づいた上で、それでも問わずにはいられなかったんだろうことを口に出したのだ。
僕たちに共通していること。それは、10年前、1人の少年と関わっていたことだ。
つぶらな瞳を震わせ、カンノが早口で言った。
「私たち、やっぱり悪いことしたのかな。」
「俺たちが、罪に問われるようなことをしたか?誰なんだ。悪趣味だろ。」
ナナセが苛立ちを含む声音で返す。
サイキは、何も言わずに僕を見る。僕も、サイキを見返した。
「本当に、お前じゃないのか。」
彼の目は、そう言っている。僕は、ざわざわとする胸の内を悟られないようにしながら、首を振った。ここにみんなを集めたのは、僕じゃない。本当に、何も知らない。ただ、10年前のことを思うと、穏やかな気分ではいられないだけだ。みんなも、そうだろう?
一瞬、沈黙が流れた。夏の宵の虫の声と、夜風の揺らす木々の葉擦れの音が戻ってくる。その時、グラウンドに面して設置された古いスピーカーから、少し調子外れなチャイムが流れた。互いを伺っていた僕たちは、チャイムの音に驚いて、咄嗟にスピーカーを振り返った。
―2011年度卒業生のみなさん、ようこそ同窓会へ。4年生教室にお食事をご用意しました。どうぞ、会場へお進みください。
スピーカーから流れてきたのは、思いの外爽やかな、若い男性の声だった。
アサギとカンノがぴったりと寄り添うのが目の端に映った。サイキが校舎の2階の窓を見上げている。視線の先には、4年生の頃に使っていた2階の一番東側の教室の窓がある。グラウンドから見ると1番右端なので、すぐにわかった。煌々と明かりが灯され、ひと際目立っている。その窓に、人影が映った。
「誰かいる。」
サイキの声に、僕以外の3人も校舎に目を向けた。
4年生教室の窓がからりと開けられ、若い男性が顔を出した。教室の明かりのお陰で、顔がよくわかる。彼は、にこやかに手を振ると、窓から引っ込んで見えなくなった。
アノ夏ヲ、トク
廃村となった故郷の村。差出人のわからない同窓会の知らせが届き、かつて通った小学校に集まった「僕」を含めたクラスメート5人。5人には、小学生時代の忘れられない記憶があった。
◆
あの子の死を思う時、なぜか後ろめたい気持ちにさいなまれる。
僕たちは、いつになったら救われるんだろう。
夕闇が迫る頃、周囲を木々に囲まれた木造校舎の、1つしかない昇降口に、僕たちは立っていた。集まったのは5人。みんな、怯えた顔をしていた。
「ねえ、今日って、同窓会じゃないの?何で私たちしかいないの。」
涼しげな白いワンピース姿のアサギが、周囲を見回した。アサギとは、中学校卒業後に村を出る前に、1度会っている。あれから5年。それほど印象は変わっていない。
「みんな、都合がつかなかったんじゃないの。」
眼鏡をかけた、すらりと背の高い男性が言った。彼は、ナナセ。クラスメートだった小学生の頃は、もう少し野暮ったい感じだったが、今はすっきりとした好青年だ。
「20人全員都合がつかなかったってこと?先生も?」
アサギは、眉間に皺を寄せた。
「しょうがないよ。だって、みんなもう、ここにはいないもん。」
小柄で丸顔の、子どものような女性。彼女は、カンノ。
僕たちが小学生の頃のクラスメートの半数は、小学校卒業とともに、村を出ている。その頃には、この村が廃村になるといううわさがあったからだ。
「で、幹事は誰なの?」
おしゃれ坊主の、ガタイのいいサイキが、Gパンのポケットからポストカードを取り出した。アサギも、ナナセも、ポストカードを手にしている。
僕は、1カ月ほど前に届いたカードの、案内が印刷された面に目を落とした。カードには、今日の日時と場所が指定されているだけで、同窓会の幹事の名は記されていない。
「タシマ?」
おもむろに名を呼ばれ、はっとして顔を上げると、僕以外の4人が僕を見つめていた。
僕は慌てて首を振った。
「幹事は、僕じゃないよ。ここに来るのは、小学校卒業以来はじめて。」
校舎の周りの木の間に麻のロープが張られ、小さなランタンが等間隔で幾つも灯されている。かつてグラウンドだった場所は、丈の揃った草が一面に生えていて、柔らかな踏み心地だ。手入れが行き届かず、草ぼうぼうになったのを、誰かが刈り取ったのだろう。
校舎の東側、タイヤの遊具の脇には、木の間に大きな白い布が張られている。
陽が山の向こうへ隠れると、星が瞬き出した。ランタンの柔らかな明かりが、ひと際輝いて見える。白い木造の校舎も、窓辺に明かりが灯されている。
幻想的で、ノスタルジックな景色なのに、僕たちには、そんな光景を楽しむ余裕はない。
アサギが、みんなの顔を見回してから呟いた。
「どうして、このメンバーなの。」