戦前の近代建築シリーズの第9回目は、三重県鳥羽市鳥羽にある旧鳥羽小学校を紹介します。
↑旧鳥羽小学校校舎。
設計者:清水建築事務所 清水栄二
施工者:西本組
所在地:三重県鳥羽市鳥羽3-1-60
用途:学校
竣工:昭和4(1929)年
構造概要:鉄筋コンクリート造3階建
建築面積:1087㎡
↑現存するコンクリート建築としては三重県内で最古の旧鳥羽小学校校舎。
鳥羽小学校は、明治6(1873)年に創立され、その後昭和4(1929)年に現在の校舎が
鳥羽港を望む高台に建設されました。正面67m、E字形平面の
鉄筋コンクリート造3階建で、表面はモルタル仕上げになっており、
中央3階部分を背後の斜面上に張り出し、内部を大空間の講堂とする
独特の構成だそうです。また、当時は三重県下でも珍しい
鉄筋コンクリート造りの小学校として話題となったそうです。
↑校舎正面中央の3階部分。校舎内部にも随所にアールデコ風の意匠が施されていました。
校舎正面中央の3階は講堂になっていて、入学式・卒業式・学芸会などの
学校行事が行われたそうです。
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↑同じく校舎正面中央の2階部分。船の碇と鳥の羽が特徴的な鳥羽小学校の校章。
↑正門前の坂道から見上げた旧鳥羽小学校校舎。
↑旧鳥羽小学校の正門。左脇のトーテムポールが印象的でした。
この旧鳥羽小学校校舎までは近鉄中之郷駅から坂道を歩いて数分の距離でした。
ちなみに中之郷駅は無人駅で、自動改札機がなく、切符の回収箱が置かれていて、
駅を出た記録ができるようにICカードの読み取り機だけは設置してありました。
不便だなと感じたのは切符の券売機がなく、路線バスのように乗車時に
車内で整理券を取り、下車する駅で運賃を払うというシステムでした。
当然ながら、車両の扉は整理券の発券機のある扉しか開かないので、
帰りは地元の方と同じ乗車位置で並んだ方が良いと思います(笑)。
多少歩く距離は伸びますが、鳥羽駅から向かうのがベストだと思います。
すぐそばには鳥羽水族館があり、ショーのアナウンスが近所迷惑ではないかと
思うぐらい音量が大きかったです。
↑正門入って左側には創立百周年記念碑と二宮金次郎像がありました。
↑二宮金次郎像。石像の台座部分の裏側には、「昭和八年十一月 鳥羽町 杉田寅之助寄贈」
と刻まれていました。
↑旧鳥羽小学校の校舎の内部。校舎の東側よりカメラを窓に押し当てて1階の廊下を撮影。
この旧鳥羽小学校の校舎は国の登録有形文化財に指定されています。
そのためか校舎の正面玄関などの入口には監視カメラやサーチライトが
設置されていました。ネットで調べてみると、過去に校舎撮影会などの
イベントで内部を見学できたようです。
↑同じく1階の部屋。奥に校舎2階へとつながる階段が見えます。
↑ショーケースが無造作に放置された部屋。
↑教室の廊下側の窓が木枠になっていました。
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↑校舎1階の西側入口より内部を撮影。柱の間のアーチなどが印象的でした。
↑校舎南側の正面玄関前のフェンスのそばあった時計がデザインされた蓋。
↑校舎西側の階段。ここを上がると校舎3階中央の講堂につながる入口、
さらに別の階段を上がると運動場があります。
写真の階段の左側には石垣が見えますが、旧鳥羽小学校校舎の後ろの運動場周辺には
かつて鳥羽城の建物が建っていたそうで、この辺一帯は鳥羽城跡として
史跡に指定されています。
鳥羽城は、戦国時代末期に九鬼水軍の将と言われた九鬼嘉隆により
海に向かって建てられ、鳥羽の浮城と呼ばれました。また、魚類を保護するために
海側が黒色、山側が白色となっていたので、錦(二色)城とも伝えられ、
鳥羽小学校の校歌にも「波静かなる錦浦」と歌われています。
↑校舎3階中央の講堂につながる入口。
手前には手洗い場がありました。
↑校舎西側の階段を上がると、この手洗い場がまず目に入りました。
小学校が平成21(2009)年に校舎の老朽化を理由に移転しており、
もう児童がここを利用する事もないと思うとさびしい気持ちになりました。
↑講堂へとつながる入口の手前から撮影。かなり廃墟化が進んでいるように見えます。
↑校舎中央3階部分の講堂の扉が右側に見えます。
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写真右側には講堂の扉が見えますが、ここにもアールデコ風の意匠が施されていました。
左側の壁にはもう少しで校舎竣工から80年との感謝の詩がありました。
もう少しで80歳という事は、校舎が移転した平成21(2009)年か
その前年に書かれたのでしょう。
↑校舎北側の運動場へと続く階段から見た旧鳥羽小学校校舎。
↑旧鳥羽小学校の北側の鳥羽城本丸跡にある運動場。
↑校舎北側の運動場からの眺望。鳥羽城の本丸跡が運動場になっていました。
城の築城時期については、九鬼嘉隆が文禄3(1594)年に竣工したとされていますが、
詳しい事は不明でした。
そのため、平成23(2011)年に初めて発掘調査が行われ、運動場跡の下から
築城主である九鬼氏の時代とみられる16世紀末頃の石垣や雨落ち溝、
土蔵や本丸御殿の一部と考えられる遺構が確認されました。
天守台のあった場所が最も高く、本丸内でも高低差があった事も判明しました。
明治初期の開発によって城の海側の斜面は削平を受けており、
急斜面となっていますが、本来の城は上記写真に見える
大きな白い屋根の鳥羽水族館のところまで拡がっていました。
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ブログ主→読者の皆さん
第48怪の旧満州国国務院の記事以来の戦前の近代建築シリーズの更新となりました(‐^▽^‐)
今回の記事で紹介した旧鳥羽小学校は、平成22(2010)年に1月に
国の登録有形文化財に指定されました。
今年の10月8日でこの黄泉ネットが5周年を迎えました。
これからも黄泉ネットをよろしくお願いします(‐^▽^‐)
以上