本を読む、ということが億劫になってきた理由の一つは「老眼」
若い時のように、読みたくなればどこでも読書、とはいかなくなってきたのです。
老眼鏡がなければ立ち読みも満足にできない有様の昨今、
億劫を覚えながらも、それでも、本屋で本をみたくなるのですね。
最近、読んだ本で岡倉覚三(岡倉天心)が連鎖されてしまって、
昔読んだ本をまた開くことになってしまいました。
とはいえ、昔の本は納屋に眠る「蔵書」でちょっと出すのにヨイショがいるわけです。
で、やっぱりネット書店のお世話になるのですが・・・
大原富枝著の岡倉天心の評伝なのですが、これを読んだのがきっかけでこれを読み、
こんな装丁ではなかったと思うのですが・・・そして、この本にまで手を出してしまいました。
これは装丁が美しいので選んでしまいました。今年一月の出版本。
「The book of Tea」は当然、日本語の本があるので、いつかは日本語で
ちゃんと読んだほうがいいかなぁ・・とも思ったりするのですが、なかなかできません。
この種類の本は英語で読むほうがかえって読みやすかったりして、
自分の中でヘンな「輸入文化」になっているのですね。
読書というのは癖になると大儀なことではないのですが、
これがいったん離れると、よほどのことが起こらない限り、特に、
生徒たちや子供たちとeasy-to-read系をしているので、なかなか自分の本は読まないものです。
だいぶ春めいてきたこの頃、DVD夜更かしの割合を減らして読書比率を増やさねば・・・
と、いい本に会ったときには思うのです。