人間の意識とは何か
人は自分の精神の働きを神経細胞やホルモンの働きに還元されて説明されることには、非常な違和感を抱く。精神の働きが、すべて脳の働きの随伴現象に過ぎないとしたら、意識の主体性は一体どこから生まれてくるのか?
無数の神経細胞内を走る電気信号と神経伝達物によるシナプス上の生化学反応のすべてを集積すれば、意識という存在になるのだろうか?
もし仮に脳神経細胞のすべての働きを人工的に再現できたら、そこに意識は生じるのだろうか? こうした問いは、今の脳科学からは答えが出ていない
意識の主体性と自由意思の存在を脳科学がまだ解明出来たわけではない。意識の存在を解明するには、現在の哲学や物理学を超えた新たな枠組みが必要になるだろう。それがどんなものになるのか、解明されるのはまだまだ先のことになりそうだ。(マルクス・ガブリエル「「私」は脳ではない」一部抜粋)
このところ梅雨中の晴れ間で一息ついてはいるが
凄まじい不快の重圧に押しつぶされている
分厚い雲が空を覆っていて、高濃度の水蒸気が
地上とのあいだにサンドイッチになって蒸し返っている
希望はすべてが幻想であったかのように
どこにも見当たらない
希望ってそもそも何なんだ?
爽やかでありさえすれば、何度でも芽を出すのだが
不快の沼に覆われると消え失せる
低気圧なのに
一体何に押しつぶされているのか
〈仮説・自説〉
人間の意識は局所的には大脳でのニューロンのネットワークにあるのだろうが、大局的には血液の循環によるところが大きいのではないか
量子はみな常にスピンしてしるし、太陽も惑星も何故か自転している
それに相当するものが人間においては血液の循環ではないか
その循環の自律運動の過程で意識や感情が生まれる
意識とは流れる血の気持ちであり血の感情なのだ
低気圧になると
低血圧の人に限らず皆、血液が停滞ぎみになる
高気圧で血は立ち上がり
低気圧で血は横になる
量子のスピンや、恒星や惑星の自転がおそらく
その存在を成す絶対条件であるように
人間と人間の意識にとって、血液の好循環が
呼吸や代謝以前に、存在そのものの絶対条件に違いない
それによる磁場とか波動とか派生するすべてによって
意識と言えるものが生まれてくる
自転車のタイヤの空気をパンパンに入れれば
快適に走れるように
すなわちそれが
爽やかで爽快な気分なんだが
高気圧によって血液を立たせることが
人間が自覚する以上に、重要な事なんだと思う
もっとも、森や生き物にとっては
恵みの雨であり恵みの梅雨でもある
単純でないのは承知の上だ
バランスが大事なのは当然の事
だが、それでも人はみな常に高気圧を求めているのでないか
どこまでも高く晴れ上がった空と青く広がる海原
そこには彼方に立ち昇る積乱雲のように
わけもなく希望が湧き上がってくるのだから