波に翻弄される木の葉の「少しずつ」に

一体どれほどの意味があるだろうか

 

相対性理論じゃないが

すべてが流動的な中において

 

少しずつとか

漸進的にとか

だんだんとか

 

考えてみれば

まったく意味がない

 

すべてが相対的で諸行無常で

因果律を含むあらゆる力の相剋のるつぼで

 

前進も後退も、上昇も下降も

何が何やら分からなくなってうやむやになる

 

それが俺の人生だったし

人の人生というものかもしれない

 

一生懸命に舟を漕いできたつもりでも

舟は元の場所からどれほども離れていないことに

やがて愕然とするのだ

 

少しずつとか

漸進的にとか

だんだんとかじゃダメなんだ

 

目的を定めたら最短距離を

直線的にアタックする

 

山を登るならいつまでもぐるぐる麓を回るんじゃなく

最短の岩場をロッククライミングする

 

よりダイレクトに、より鋭角的に斬り込まなきゃ

ヌエのような日常にかき消されるだけ

 

目的や目標を一つ一つクリアするでもなく

平面的にいくら移動したところで徒労でしかない

 

人がぞろぞろ通る道に

なんにも転がっちゃいないだろ

 

 

転落するリスクを覚悟して

岩肌に取り付いたとき

 

ようやく違う視界が見えてくる