上條恒彦&六文銭 歌(1971)

 

乾いた空を

見上げているのは誰だ

お前の目に

焼きついたものは化石の街

愛の形が壊れたときに

残されたものは出発の歌

さあ今銀河の向こうに

飛んでゆけ

 

か・・・

 

若者を挑発するような文句

 

すべてを失ったお前にも

銀河の向こうにはまだ希望があると

 

銀河の向こうとは

東京なのだろうか

 

この歌は当時の団塊世代(及びその前後)を調子付かせる

トリガーの一つになったと思うが

 

今、改めて聴いてみると

中身のない虚しさを感じる

 

あゝ、飛んでいっちまえ

 

 

昭和を振り返ってもしょうがない

 

失われた30年は

俺がのたうってきた30年だ

 

戻ったところでよく考えてみろ

調子よかったその頃の希望の結末が

失われた30年だもんな

 

希望が欲望になって

品性も理性も失ったあげく

 

バブルが弾けて自業自得?

あゝ、団塊の世代という

甘っちょろい戦後の徒花の結末なんだよ

 

バブル崩壊の後始末に追われた

夢も希望もない失われた30年

 

時代に甘やかされて育った彼らが

金に狂い踊った後がこのザマだ

 

バブルで一番いい思いをしといて

日本が傾いてもまだ余力がある間に

定年退職まで逃げ切り満額退職金を受け取り

厚生年金の定額部分も60才から受給して

マイホームも貯蓄も安定した老後も確保した

 

いいところを全部先食いし

後の世代に膨大なツケを残した

 

無責任で恥知らずな烏合の衆

それが彼らの希望の結果だ

 

戦争で親兄弟、この国のために戦い死んでいった世代と

時代の巡り合わせとはいえ、何たる不公平か

 

そんな思いもよぎるのだ

 

だから団塊世代の希望の輝きを賞賛するのも

どうかとも思う

 

失われた30年には政治経済はもとより

映画や音楽、文化・芸能すべてにおいて

低調というか、無残、荒野に等しい

 

これも彼らの甘やかされた希望が

招いたものだとも言えるのだ

 

過ぎ去ってしまった彼らの希望は

俺の希望にはなり得ない

 

アーカイブはどこまでも

化石の街なのだ