希望の朝だ

 

馬鹿も阿呆もカスもクズも

外道も畜生も家畜も社畜も

 

驕り高ぶる者も媚びへつらう者も

妬み嫉みに狂う者も自らの内に沈んでいく者も

 

朝はたぶん来るのだろうが

それは薄汚れたきのうの続きだ

 

新しい朝にきのうの影はない

だから希望も宿るのだ

 

希望とは夢や願望とも

目的や目標とも違う

 

希望とは心の状態であり

それ自体が至高の果実である

 

幸せという漠とした青い鳥を探して

世界を放浪したあげく

笑顔が人生至高の果実であることに

気付くように

 

朝は誰にでもやってくるが

新しい朝は限られた人にしかやってこない

 

それは神社の境内のように

掃き清められた清浄な心にのみやってくる

 

新しいとは

なんとすごいことだろう

 

その朝を新しいと感じることは

生半可なことじゃない

 

覚悟が無きゃ

新しいなどと感じるものか

 

これが新しい朝なら

昨日の朝は最後の朝だったのだから

 

年をとるにつれて日が過ぎるのが

極端に早くなるとよく言うが

 

一筆書きのようにダラダラと

きのうの延長を生きているからだ

 

何の疑いも持たず

諦めか惰性で生きている

 

信仰や哲学や強い信条でもなきゃ

精進や努力や克己や献身や自己犠牲のある

張り詰めた一日を生きてなきゃ

 

新しい朝が来るわけない

 

 

新しい朝が来た

希望の朝だ

 

だからあなたには

希望の朝を迎える資格がある