同じ地球なのに何故こうまでも違うのか

 

同じ太陽のはずなのに

同じ海、空のはずなのに

 

何故これほどまでに魅惑的なのか

 

同じ人間でも世界の海の表情ほどに

ピンからキリまで千差万別だ

 

能力を持てる者はいつの時代にも

一定数いるには違いないが

 

魅力的な人間は

そうそういるものではない

(魅力的の定義は置いておく)

 

ただ、仮に魅力的な人間がそこにいるとして

その人間は魅力的な自然との関わりなしには存在し得ない

 

石原慎太郎も石原裕次郎も

彼らの輝きは明るく開けた湘南の海との出会いなくしてはあり得ない

 

それは石原慎太郎自らも語っている

 

たぐい稀な魅力的要素を持った人間でも

それが晴れて魅力的に開花するためには

当人を触発し続ける魅力的な自然が必要不可欠だ

 

持てる人間をして尚

その魅力的な自然からの感化力と咀嚼力を必要とする

 

人間なんて所詮、自然の写し鏡に過ぎない

 

 

この前、石井妙子著の「女帝 小池百合子」を読んだ

 

芦屋というところで生まれ育った小池親子の波瀾万丈の物語は

なかなか面白かった

 

はったりや、嘘も方便

太閤秀吉を崇拝する野心満々の勇次郎と翻弄されつつも瓜ふたつの娘

 

カイロ大学首席卒業も戦国時代なら

女秀吉の豪胆な大法螺で済んだろうが

 

リベラルに汚染された今のせせこましいこの国では

小池親子の感覚は通用しないのだろう

 

彼女が人間として魅力的かどうかは知らないが

嫌らしい女ではある

 

それは芦屋の嫌らしさでもある

 

それがエジプトでどう増幅、拡大したのか

あるいは変質したのか

 

サハラ砂漠やピラミッド、カイロの街やエジプトの人々から

彼女が何を咀嚼し、どう感化され、また嫌悪したのか

 

それをこそ知りたいのだが

それは本人のみが知ることだ

 

湘南の海には深くうなずけるものがあるが

芦屋の嫌らしさはいただけない