懐かしい言葉だな

 

「トムソーヤの冒険」が冒険という言葉との

最初の出会いだったか

 

子供は小さな冒険を山ほどして

大人になって行く

 

世間では既知のことであっても

彼や彼女にとっては未知のことなのだから

すべてが冒険には違いない

 

ただ、それでも

親や先生がこれをやりなさいに忠実、従順で

その期待に応え誉められる報酬にいきなり埋没し

それっきり人生を棒に振る者も数知れないだろう

 

だが、やはり本来の冒険とは

自分自身が切り拓いた唯一無二のルート

未知、未開の領域へチャレンジすることのはずだ

 

冒険とは確かに贅沢で特権的な

大衆とは無縁のものではある

 

公務員の子は公務員、サラリーマンの子はサラリーマン

医者の子は医者、商売屋の子は商売屋

 

当然のことと言えば当然だが

子供は親の真似をするばかりで

独創的な子供などほとんどいやしない

 

トムソーヤは誰もが感じた自分自身ではなく

特異な選ばれた子供なのだ

 

冒険とは果てしない好奇心と、勇気と、英知

体力、胆力、気力、忍耐力等を必要とするものであり

 

それこそ人生最高の総合格闘だと言えるだろう

 

一方、冒険とは個人的な感性の領域のものでもあり

社会的な評価など望まないし望むべくもない

 

コストパフォーマンスは限りなく低く

インディージョーンズのように金銀財宝に巡り合うことは

万に一つあるかないか

 

結果がどうであろうと冒険自体が最高の贅沢であり

最高の悦楽なのだ

 

冒険という言葉がなぜか頭に浮かんできた

 

予定調和に流されるだけの

一丁上がりの人生が

なんだというのか

 

冒険というのは今となっては更に特権的なものに思えるが

いつだってそうだった気もする

 

闘争とチャレンジもいつしかサバイバルに変わり

順応と適応に明け暮れる日々を忍んで来たのではなかったか

 

冒険、冒険か