仲代達也だったか、自ら主宰する無名塾で

「一オクターブ高く声を出して舞台俳優だろうが」

「それを惜しむような奴は今すぐ出て行け」

というような事を言ったと記憶している

 

それが俳優の気迫であり矜持じゃないかと

 

一オクターブ高くなければならないのは

わたしたちの普段の挨拶も同じだ

 

挨拶は合図であり、言葉の源流であり、原点だ

 

「オオイ、元気か、」

「俺は元気だ」「お前も元気でやれよ」

 

互いの状況を確認し、励ましあうエールの交換だ

 

普段よりオクターブが低いなどもっての外であることが

分かろうというものだ

 

これだと

「お前なんかと出会いたくはなかった、だがまあ会ってしまったんだからしょうがない」

「言ってやるよ、死ね!」

 

そういう信号になる

 

俺はあんたにとって敵だから

くれぐれも用心し、隙があったら殺してくれ

 

そう言っていることと同じだ

 

挨拶は言葉の源流であり、波動そのものだ

波動は精妙であり嘘をつけない

 

遠い星ですら光のスペクトルの観測で

その星の組成がわかるようにね

 

言葉がなくても波動で会話はできる

星々は会話をしている

 

人間の言葉を介した会話は

これを人間流に模したに過ぎない

 

たかが挨拶でその人間のレベルのすべてはわかる

挨拶は個々の人生の表題ほどに、恐ろしく重要だ

 

分かる人には分かる

分かろうとしない人は哀れな道を行け