ヘルマン・ヘッセは「シッダールタ」の中で

人間の苦しみの根源は「時間」という概念にあるが

実は「時間」というものはどこにもないと言っている

 

時が流れ人生が展開しているかに見えても

それは例えば川を下るようにしてすでにあるものを

なぞっているに過ぎない

 

生、老、病、死・・

確かに恐れや苦しみの根源は突き詰めればそこにあるが

 

しかし、それらは時間が運んでくるものではなく

未来の部分が見えないだけですでにあるのだという

 

すべてを見切ることが悟りでもあるわけだから

シッダールタは自分の人生をこういう形で見切ったとも言える

 

未来はすでに確定していて閉じていると

 

すべては渾然一体として一つであり

そこには恐れも苦しみもないと

 

あるいはそうかもしれないと衝撃を受けた

なにせこの世のすべては未だ謎なのだから

 

悟りの正体は揺るがない諦念ということか

 

しかし未来が未確定で開かれているとしたら

そこには悟りの形はないのだろうか

 

ヘルマン・ヘッセは

未来も過去も自分の体の胸と背中のように一体だというが

 

宇宙が加速しながら今も膨張しているというのなら

未来も未確定で開かれているのではと思ってしまう

 

閉じられているという諦念は悟りをもたらすかもしれないが

俺はたとえ奈落に堕ちようと開かれている方がいい

 

それにしても1秒また1秒と時は流れていくかに見える

1秒前は過去であり1秒先は未来だという

 

過去も未来もすぐそこにあるような気もするが

1秒前の自分を照らした光はすでに30万キロの彼方にある

 

光の秒速30万キロというのがわからない

どうにもさっぱりわからない

 

自分はただ太陽の光に映し出された

ホログラムのようなものかもしれないし

 

アニメのコマのように連続しているかどうかも

怪しい

 

俺はほんと、「のどごし生」がうまい、しかわからない