剣の達人は寝込みの襲撃にも対応できる

拳法も然り

 

どんな不意打ちや卑怯なやり方にも

黙って対応する

 

寝ていたから、風呂に入っていたから

酒を飲んでいたから、女と遊んでいたから、

忙しかったから、気を取られていたから

考えごとをしていたからと

 

弁明するのは勝手だが、あんたが死ぬだけのはなし

あんたは達人どころか、ただの間抜けということだ

 

武術の達人はこういうルール、設定、環境ならと

条件を持ち出さない

 

何故なら武術の本質は殺し合いであり

あるのは結果だけだからだ

 

意表をつく、裏をかく、騙す、油断さす

より効果的な武器を使う、相手に勝る人数・・

 

殺し合いに卑怯という言葉はどこにもない

というよりも、相手が考えもしない手を見つけた方が勝つ

それを卑怯というなら、より卑怯な方が勝つということだ

 

青銅の剣から鉄の剣へ、槍や刀から火縄銃、ライフルから機関銃

大砲、戦艦、空母、戦闘機、原爆、水爆、核弾頭ミサイル・・

 

将棋や囲碁も力が拮抗すればそうなるし

政治も戦争も人生もみな同じ

 

武術の達人というのはあらゆるものに通じその根本のような気がする

すなわち、言い訳をしない

 

武術の達人の境地とは悟りの境地と相反するものなのか

それとも相通じるものなのか

 

釈迦も若い頃、のちにムエタイや少林寺につながるインド発祥の拳法を納め

その達人だったとする説がある