何故山に登るのか

そこに山があるからだ

(イギリスの伝説的登山家 ジョージ・マロリー)

 

その山とは観念的なものではなく

具体的にエベレストのことであるらしい

 

では問おう

何故歩くのか

 

これも観念的なものではない

具体的な歩くという行為、歩くという目的を言う

ただし、ジョージ・マロリーとは違って

名もなき道をこそ、何故歩くのかと問うている

(自分自身に、私に)

 

そこに道があるから

そこに足があるから

そこに野辺の花があるから

そこに緑の草木があるから

そこに川のせせらぎがあるから

そこに川面の上を滑る風があるから

そこに鳥たちのさえずりがあるから

そこに虫たちの営みがあるから

 

功名心や野心とは何の関係もない

むしろその対極にある

 

何故生きるのか

 

そこに命があるから

そこに今があるから

そこに明日があるから

そこに光があるから

 

そこに私があるから

 

投げやり的な不遜な動機や

居直った小賢しいやっつけ回答ではない

 

そこに羅列されたものはみな

四半世紀をかけてようやく

自ら発見したものばかりだ

 

虚無と闇の底で出会った

感動の一つ一つだ

 

何故そこにあるのか

不思議なものばかりだ

 

 

だから?

だから

 

私は歩く

私も歩く

 

私は生きる

私も生きる

 

大いなる名もなき道を

大いなる名もなき人生を

 

大いなる、名もなき道を

大いなる、名もなき人生を