一日とは原子か細胞か

 

一日は構造を持っている

だから人生の最小単位ではない

 

「一日とは」を検索すると、①午前零時から午後12時まで。一昼夜。

②朝から夕方まで、とある

 

誰も「一日」という言葉に関心を払っていない

県の条例程度の無感動な扱いだ

 

「一日」という定義に哲学的な命題や論争はないのだろうか

地球の自転の一回転といった表記すらない

 

「一年とは」で検索して、ようやく出てくる

地球が自転で一回転するのが一日にあたり、太陽の周りを一周公転して元の位置に戻ってくるのが一年にあたる。それには約365日かかる

 

宇宙はビックバンから138億年とか、地球誕生から46億年とか、天の川銀河の直径が約10万光年だとか、時間も距離も地球が太陽を一周する一公転を一単位として計算される。地球の自転(一自転が一日)ベースで言えば、その365倍となる

 

宇宙の時間や距離はすべて年単位だが、その一単位である一年の中には、一日が365個詰まっている

 

まるで一年が原子で、一日が原子を構成するクオークか何かのようだ

 

そしてクオークのスピンのような365回転の、一回転一回転が我々の場所であり、我々の生存を許された時間なのだ

 

原子核の周りを回る電子のように、地球が数十回太陽の周りを回ったら我々の時間は終わりとなる

 

ぞっとする

 

一日が人生の一ブロックといったイメージのほうがまだマシ、まだ救いがあるとさえ思えてくる

 

一日とは何だろうか

 

宇宙が広いのではなく、我々があまりに小さいのではないだろうか

宇宙が悠久の時の中にあるのではなく、我々の持つ時間があまりに短いだけなのではないだろうか

 

一日とは恒星の周りを回る惑星の一自転であり、それに伴う昼と夜である

地軸が傾き、楕円軌道を回るなら一公転の中に季節が生まれ、昼と夜の長さも変わっていく。一恒星に惑星が数個、一銀河に恒星が一千億から三千億、これに銀河数兆個を掛け合わせた惑星の数だけ、その惑星の一自転である昼と夜、その惑星の一公転である一年がある

 

この全宇宙、すべての惑星に、一つとして同じ一日、同じ昼と夜はない

 

何の普遍性もない地球の一自転と地球の一公転を宇宙の時間と広がりを表現する単位にせざるを得ない人間の卑小

人間が算出した宇宙の時間や広がりは地球と太陽の関係を知らない宇宙人には分かりようがない

 

地球の公転の138億回は果たして途方もない時間なのか

その間に広がった宇宙は本当に途方もない空間なのか

 

そんな人間だけの(あるいは地球上の生物の)

一日という人生(一生)の単位

 

だが一日には尚、複雑な構造があり

人間の人生にとって、とてもじゃないが最小単位ではない

 

一日とは刻々と自転によって太陽に照らされる面を変える昼と夜の精妙な一サイクルであり、その一サイクルの中で、自己の肉体と自我を含む意識、思考や行為と認識、自己を取り巻く環境の時間的変化が、偶発性を伴って無限大の組み合わせで織りなされていくものだ

 

 

一日とは何か

 

宇宙を見渡してもその答えはない

太陽との関係における地球の一自転(我々の一日)はここにしかない

それに人間の自我という意識を加えて織りなされる一日はここにしかない

 

一日は人間にとって最初のフロンティアであり

今も尚、最大のフロンティアである

 

宇宙の果ても素粒子も面白い

 

だが、天の川銀河の辺境に偶然に発生した「私の一日」という

不思議な時空が、いかに不思議な時空であるかということだ

 

それを信じる者だけが先へ行く、さらに先へ