人間の目は電子顕微鏡でもなければ

ハッブル宇宙望遠鏡でもない

 

より広範囲に見えないものを見ようとすると

瞳孔は限界を超えて開く、すなわち死んじまう

 

死んで瞳孔が開くなら

瞳孔が開いて戻らなきゃ死ぬだろ

 

真実や真理の探求はいいが

所詮生身の人間は真実や真理の只中では生きられない

 

真実や真理はそんなやわなもんじゃないってことを

科学の最先端に垣間見た

 

焦点は広範囲に拡散するものではなく

一点に合わせるものだ

 

永遠に生きたいなら、永遠を眺めたところでしょうがない

今この一瞬を汗を流して格闘するしかない

 

 

死んで瞳孔が開くとは

なんと示唆に富んでいることか

 

無限と永遠に重層的に囲まれた世界にあって

「今」という概念を認識するものとして人間が生まれたとしたら

 

生まれて、「今」を守り

死んで無限と永遠、宇宙に帰る

 

極微な量子の世界から極大な宇宙の果てまでが

一点から始まるという神話のように

人間という、「今」を認識する存在を

宇宙が宇宙自身の「今」を得るために作ったとしたら・・

 

人間にとって驚きの無限と永遠は

宇宙を含む「ここ」には、実は当たり前のことかもしれない

 

「今」を創造したことこそが

大宇宙の精華かもしれない

 

何故なら

 

「今」という認識を創造したことで

大宇宙は本来全くの無価値である「無限」と「永遠」を

神と同列に神格化させることができたのだから