「なぜこんなにも違和感があるのか」


“平和主義は空疎だ”という言葉を目にしたとき、どうしても納得できませんでした。


これまでも新聞の論調に対して、心の中で反論することは何度もありました。
ですが今回は、何度読んでも受け入れられない。
むしろ、読み進めるほどに強い違和感が残りました。


4月22日付の産経抄。


そこには「平和国家の虚構」「一国平和主義」「空疎な平和主義」といった言葉が並び、
武器輸出によって抑止力が高まり、結果として国際社会の平和と安定につながる、という主張が書かれていました。


本当にそうなのでしょうか。


武器を持つこと、輸出することが、平和に繋がるという論理。
その前提にあるものに、私はどうしても疑問を感じてしまいます。


つい最近の対話の中で、
「法律の範囲でできることとできないことがある」という言葉がありました。


その“制限”こそが、これまでの日本を守ってきたのではないでしょうか。


それにも関わらず、
その枠を外し、武器輸出を進める方向へ進もうとする。


今はまだ、「抑止力」という言葉で正当化されているかもしれません。
ですが、もし立場が変わればどうなるのか。


武器の次は、人を出すことを求められる。


その可能性を、本当に否定できるのでしょうか。


そのとき、日本は「平和国家」でいられるのでしょうか。


もしも戦場へ向かうことが必要だと言うのであれば、
その判断を下した人たち自身や、その身近な人たちが最前線に立つべきではないか。


そう思わずにはいられません。


若い自衛隊員は、本来、国民を守るための存在です。
無意味な争いの中へ送り出されるべきではないはずです。


今回の記事の中で引用されていた言葉があります。


「一利を興すは 一害を除くに若かず」


一つの利益を生むより、一つの害を取り除く方が重要だという意味です。


ですが、そこで言われている「害」が、平和主義であるという考えには、強い違和感があります。


本当に取り除くべきものは何なのか。


それは、武器ではなく、
核の恐怖であり、
そして、強い言葉で人々を導いてしまう理解不能なリーダーたちではないでしょうか。


世界中の良識ある人たちと共に、
そうした危険を少しでも減らす努力を続けること。


その方が、はるかに現実的で、そして人として正しい道だと、私は思います



     



      『過去の記事を加筆、訂正しています』