父の納骨堂より連絡があったので
契約書?プラン表?
探して 父の荷物が入った段ボールを
久しぶりにあけた。







いつも父が愛用していたバッグは
当時のままだ。






ハンカチや取替用のマスクや
手帳などが入ってる




几帳面だった父が唯一残した
ファイルには
病院関係の書類や
支払い用紙 領収書
会社の仲間と撮った写真が数枚
(お気に入りだったのかな?)





子供の頃や学生時代の写真は
全て処分されていたのに
これだけは残ってる。





懐かしくて見ていた




それから私が入れた 父の死亡届や…
検死に回された時のパンフ?
葬儀屋の紙…




ショック過ぎて思い出せなかった物が
次々とでてきた。。




そして1番最初の病院でもらったのかな?
13年前の病状説明などの同意書が。



父は当時  糖尿病と心臓疾患
肺動脈性肺高血圧症と言う難病だった



そして食道がんだけじゃなくて
胃がんも…見つかっていた





何の因果か…この病院は
オトちゃんが通う病院だ。




ただ、この後父は通院する体力もなくなり
地元の大きな総合病院に移ったけど…





もう、最初の段階で    
父は持病とそして
肝硬変にもなっていて手術も困難
抗がん剤も出来なかった。



放射線治療を希望するしか
段がなかった…





総合病院に移った後も
心臓専門の病院で石灰化の手術して
また、総合病院に戻りと



入退院を繰り返してた。





他にも間質性肺炎や
輸血… 癌性疼痛などの文字がならぶ
入院計画書などが出てきて




胸が苦しくなった。





今 そばでオトちゃんを見守っているから
だから…
当時の父の苦しさがわかる。






私には言わなかった事が
 こんなにあったんだね。


1人で受け止めて
父は強い人だったんだと
再認識した




2年間 頑張ってくれてありがとう
部屋の写真に向かって
言ってみた。







こんな苦しみを堪えても
生きる為に頑張った父が居たから




オトちゃんの アレ嫌コレ嫌が
  イライラして仕方ないのかもしれない…。





生きて欲しいから
治療法は無限じゃないから
自分でチャンスを潰して欲しくない。