絵画教室に申し込んでみました。


自宅から一時間


だいたい二時間の講座で月2回でしたが



残念ながら、


キャンセル待ち…。



いやいや、いいじゃないか❣️自宅で練習しよう❣️


というわけで動画を参考にして


シクラメン


踊りまくったシクラメン…。


いいんです。まずは描かないと。

母と去年実家の庭に植えまくりました。


兄が抜いたけども…。


母は安定はしていますが、母らしさは抜けてきていて体がどんどん軽くなっています。


体重云々ではなくて、うまく言えないのですが支えるとまるで芯のないものを支えるかのような感触です。


母は神経膠芽腫疑いで三月には手術その他治療を勧められましたが全て母の意思で拒否し、病院からは治療しなければ2カ月持たないと言われました。


それでも治療はしないと。


五月までの余命宣告でしたが、母は10月になろうとする今現在、確かに徐々に変化はあるものの目立った体の痛みや苦しみはありません。


手術をしていたらもう少し良かったかどうかはわかりませんが、自力で食事などはできています。


ふと日曜日の夜、母が軽かったなという事が気になり急遽ホスピスに行きました。


夜ベッドにすでに横たわっていましたが


「ママ」と声をかけると


「はい?」とこちらをしばらく見つめてから目を見開き「あら、はにーちゃん❣️」と言って起き上がりました。


胸が熱くなります。母だ。こんな状況でも母なのだ。


「ママ、りんごジュース持ってきたよ。飲む?」と聞いたら


「うん、はにーちゃんがきた❣️」と嬉しそう。



ママ、今日はお月様が綺麗だよ。半月だけど。


「ええ?月?見たい見たい❣️」


明かりを消してカーテンを開けました。一生懸命空を眺めていましたが見えないと。

ママ、あれがお月様だよと指を指す方向に何とか目線を送り


「ああ、あれ?そうか、半月なの?」



恐らく母の視力はかなり落ちています。

悲しいけれど、何とかお月様は母にその光を届けてくれた。



「はにーちゃん、外に連れて行って。ちゃんと見たいの」


いいよと母の手を取りホスピスの出入り口から外に行きました。


すっかり細くなった体にパジャマとセーターを羽織り、一歩ずつ頼りなく歩いて、細い腕を私が支え手を繋いでいました。


母と手を繋ぐのは幼かった頃以来。


あんなに頼りにしていた母の手が今は骨だらけで細くなる。


なんて残酷な感触だろうと思いました。


ああ、母が遠くに行く日が近づいているのではないか、そんな恐怖に近い感情もあるけれど


それを超えて二人で今月を見あげている。


ママ、見える?


「うん、見えるよ。そうか、あれは半月なんだ」


母の目が月の光のみを認識していてその形はもう分からない。


「はにーちゃん、寒いな。」


そっか、じゃ、戻ろうか。


母セーターを着ていて


私は半袖シャツでちょうどいい。


すでに感覚すら母とは同じではない。

母が寒いというと、本当に母が遠くに行ってしまうようで怖いです。


小さい頃から私の味方になってくれ

私を遠くからいつも心配してくれて

たくさんの時間を共有してきた母が


遠くに行ってしまうかもしれない。



五月の終わりにホスピスに入居した頃は自力で脱走をはかった日があったのに。



部屋に戻ると自分から言うようになったんだな。



この日思いました。

何故もっと、母と手を繋いでこなかったんだろうと。


このブログをお読みの方々はきっとご両親がもっと若くてお元気という方もいらっしゃると思いますが


どうか元気なうちから手を繋いでみてください。


親がこんな状況になってから繋いでみると本当に何故もう少し親子らしい時間を取らなかったかと後悔しています。



私はもうすぐ


ひとりぼっちになってしまう。



置いていかないで。



そんな気持ちが湧いてきます。



ホスピスのベッドに母を寝かせて外に出て


さっきまで一緒に見上げた月を一人で見上げた瞬間に



涙が溢れてきました。



これからは一人で見上げ


シクラメンも桜もタンポポも


一人で見るのだろうなと思うと



いかに母との時間が大きかったのかを自覚します。



こんな気持ちになるくらいなんだから


母から生まれて



本当に良かった。