龍性寺から大悲願寺までは5、6分というところだが、寄り道ばかりする年寄りの足では10分を超えてしまう。
通りの地蔵菩薩。
ヨタヨタ歩きながら進むと前方に上部が漆喰、下部は板張りの立派な塀が見えてくる。
大悲願寺である。
大悲願寺は1191年、源頼朝の命を受けた平山季重が醍醐寺三宝院の僧を招いて開いたと伝えられている。
山号は金色山、院号は吉祥印、真言宗豊山派の寺院である。
平山季重といえばワタシが京王相模原線の堀之内に仮住まいしていたころに、北へまっすぐ平山城址公園駅まで2時間かけて歩いたことがある。
この公園に隣接する宗印寺を訪ねたのだった。
そのときこの周辺に平山季重を顕彰する幟が立っていたのを思い出す。
ワタシは武将というヤツが嫌いなので無視したが、頼朝の鎌倉幕府成立に数々の戦果を上げ貢献した武将とのこと。
やはりワタシには興味がわかない。
壁に沿って歩くとまず総門がある。
続いて本堂に至る朱雀門(中門)。
この門は閉じられている。
閉じられた朱雀門。本堂に通じる。
次がお目当ての山門(仁王門)である。
巌窟王もここまで一緒に来たのだが、
〈ワシはあっちの門から入るバイ〉と総門の方に戻って行く。
山門の手前の7段の石段に手すりがないのに気付いたからだろう。
山門は1613年ぬ建立され1669年に再建された。
現在のものは1859年に建てられたもの。
構造は三間一戸の入母屋造で銅板葺。
両脇の仁王像もなかなか作行きだが、格天井に大日如来の梵字を囲むように描かれた草花の絵もすばらしい。
作者は幕末期の絵師、藤原善信である。
仁王像の天井には右は天女、左には迦陵嚬伽が描かれている。
こちらの作者は森田五水。
右の仁王像。
左の仁王像。
仁王像の天井絵は手前の金網にピントが合いうまく撮影できない。
ふたりとも五日市の住人で幕末期の狩野派画家である。
それにしてもこの寺に限ったことではないが、山門やお堂、鐘楼などにベタベタ納札を貼る連中をなんとかできんものか。
山門を抜けると正面に見えるのが観音堂(無畏閣)になる。
(続く)









