入院生活の後半は病院側の都合でふたり部屋になった。
同室の患者は西アフリカから来たシソコという名前のマリ共和国の人だった。
マリ共和国は海のない内陸国である。
日本語はあまり喋れないがそれでもなんとか意思は通じた。
たどたどしい日本語と英語混じりの会話で、彼がマリ共和国のエリート層に属する若者だということはわかった。
マリ共和国からソビエト連邦のモスクワにあるモスクワ大学に留学して、物理学を学んだとのことだ。
モスクワという地名と大学名を彼は〈モスコ〉と発音したから、最初のころはどこなのか一向に理解できないワタシであった。
モスクワ大学はロシア最古の大学で帝政時代の1755年に創設された。
1953年にモスクワ南西のレーニン丘に完成した32階建ての本館はスターリン様式の代表作とされている。
モスクワ大学本館。
シソコさんはモスクワ大学を卒業後、いったんマリ共和国に戻り原子力関連の知識を得るために来日。
戦後この国の原子力開発に重要な役割を果たした岡山県のウラン鉱床が発見された人形峠に滞在。
人形峠環境技術センター
その時に緑内障を発症してこの病院に治療のために入院となった。
シソコさんは入院中〈眠レナイ、レナイ〉と隣りのベッドのワタシに言い、看護師にも〈ワタシ眠レナイネ睡眠薬クダサイ〉と訴える。
処方された薬以外のものを看護師が与えるわけがない。
眠れない原因はカンタンなものである。
国内にほとんど知り合いのいないシソコさんに見舞いなどあるはずもなく、昼間はベッドに横になってそのうちイビキをかいて眠り始める。
昼間たっぷり寝ているのだから、夜眠れるわけがない。
ワタシは昼間眠るシソコさんの身体をゆすって〈夜眠れなくなるから起きてなさい〉と言うのだが、シソコさんは〈夜寝テナイネ、ワタシハ。眠イ。オコサナイデ〉と言ってまた眠りだす。
〈続く〉


