続く雨。

いきなりだが、店の主人と客として、「袖すり合うも多生の縁」なぞと言いもするのであるが、同時代に生まれ落ち、若き日に音曲と紙魚のあいだを回遊しながら、のらりくらりと渡世をしてきた互いゆえか、二度三度と話すうちに早や気心も知れ、いつしか主客の煩わしさよそよそしさを感ずるようになった昨今の彼こと主と私こと客である。

世話になっている身であるため、店の片づけなぞ男手の要りそうな事を助けだちすると進み出ても、莞爾と笑ってのらりくらり躱している。

まあ少し考えてみればそれも合点のゆく話であり、たとえば私物の書物を片づけたくとも愛書家には愛書家の仕来りもあって、本の纏めなぞの際にはあれとこれ、それとどれとは組み合わせておきたいのだから、という具合に人様には一概に口伝できないような頭のなかの設計図のようなものがあるわけで、それをわが身に置き換えてみると彼の思惑の正当さに行きあたってしまい、ついついたたらを踏んでリズムを取るしかないのである。

近ごろはたまに店に顔を見せつつも、このようなやりとりの後に本を買ったり買わなかったりして店をあとにするのである。
どうか新プロジェクト、がんばってほしいものである。

















































音源お借りしました)















唐突に
上とは
まったく
関係のない詩を、
ひとつ。















  そのむかし



そのむかし
木々もまた歩けたのです
いまはもう歩けはしない
それは怒りにふれたから
やはり木々はさみしくて
木は木を求め林とも
森ともなって集ったのです
深い言葉を語ったのです
深い愛をちぎったのです
神を忘れるほど深く
して神は激怒したのです
その手は枝にしたのです
足はその根にしたのです
もう語れなくもしたのです
だがその愛を讃えたい
何故ならなおも枝と枝
根と根は密かに求めあい
ときには幹をすりあわす
火を生むためにすりあわす
消せない火事にするのです
埋もれた木々も讃えたい
燃える石にも身を変えて
なおきびしくも時を待つ
掘られるその日を待つのです
伐られた木々も讃えたい
その家に住み讃えたい
そしてぼくたち炉の前で
赤々と燃える炉の前で
しばしは思い知るのです
ぼくたち 愛の貧しさを
してこのうたを書くのです
書きつつ密かに泣くのです
神はすべてのぼくたちを
この罪をみな許される
これほどまでの貧しさを
思い密かに泣くのです
泣きつつ耐えてうたを書く
七五のうたを書くのです







高野喜久雄詩集

思潮社

1966年10月1日 発行


装幀 粟津潔








高野喜久雄(昭和2年〜平成18年)は数学者・詩人。「荒地」同人として参加をした人。尚詩集はイタリア語訳もされているとのこと。