朝目を覚ますと窓の外で一羽の鳥が囀っている。
五六度短く重ねて鳴いたあとに、長く伸ばして鳴くのをしばらく聞いてたのだが、鳴きやまないのでそっと布団を抜けだし窓辺に佇ち、ゆっくりとカーテンをスクロールしていった。気配を圧しころして目だけを動かして見たのだが、小鳥の姿はどこにも見あたらなかった。
ふたたび寝床に戻り、朝の光が入り込む部屋のなかで、春の光を浴びながらもう一度目を閉じた。























仕事が終わって帰り道に気がついたら古本屋の店先に佇んでいる自分がいる、というのがもっともふさわしい言い方なのだが…なぞと御託をならべるまでもなく、食事や睡眠のような日常生活の一環として私の場合には古本屋に居るというのはごくごく自然の摂理なのである。

先日も毎日何かしらが店の内外の棚にひそんでいるのを逃さずにと言わんばかりに棚に目を配ってからレジ前の平積みにまでたどり着くと、そこに軽く積まれた山の中にある一冊の詩集に目が止まった。

檀一雄全詩集、とある。

函から取り出してみると、昭森社の木山捷平全詩集と同じように装釘に別珍が施してある。函のコンディションが万全ではないのだ、とのことで、ただ同然の値段で譲ってもらえた。

ほかに能村登四郎句集「枯野の沖」「寒九」、ジャン・ジュネ「アダム・ミロワール」、なぞを手にしてレジへ。





















  戀 歌



雲霧の宴

 人は針の筵といふけれども、私は雲霧の筵に坐つた思ひで  津島修司




神樣の彈丸はわしらの旨をつらぬいた
業罰の硬直をわしらは尊大にすりかへ
雲霧の唄を張らう

君の胸にはまだ一枚の蝶が舞ふ
わしの胸には何やら小づらちくい小鳥が飛ぶ
小鳥がわしをねらふか
わしが小鳥をねらふか

雲霧の宴のさなかにも
わしははや墜落をまぬかれぬ
既に傲岸の足許から
また頭腦の逆上をしりめに
女の腹のへりに水洟をたらすは
えい 末世の法




















檀一雄全詩集

檀一雄

限定500部ノ内 第341番

皆美社

昭和51年6月24日

発行














檀一雄は太宰治の親友だったとのことで、太宰治坂口安吾らと無頼派の括りで語られる作家。

(ブログで紹介した詩は檀の『小説太宰治』という作品のなかに所収されている詩。太宰治の本名、津島修司の名前が冠されている)

昭和9年、22歳のころに太宰治・中原中也・森敦らで『青い花』を創刊する。翌年『青い花』は『日本浪漫派』に合流することとなる。

戦後に朋輩太宰治、坂口安吾らの死を乗り越えながら、『リツ子・その愛』『リツ子・その死』を世に送りだし、昭和26年『真説石川五右衛門』により直木賞を受賞。

そこから四半世紀を経たのちに、小説『火宅の人』を刊行した。





『檀一雄は漂泊の詩人であった。彼は小説家として名を知られてゐるが、その本質はあくまで詩人であつた。彼が西行や芭蕉や杜甫を深く敬慕してゐたことは「火宅の人」を読んでも明らかであるが、なぜか批評家たちはそのことを取上げようとはしなかつた。』

檀一雄追悼での中谷孝雄の一文。
(漂泊の詩人檀一雄 / 昭和51年3月・群像)



檀一雄の忌日は1月2日で、その日は「夾竹桃忌」と言われている。






























(音源お借りしました)
























昼に用事を済ますため、散歩がてらと徒歩で出でた。
ふだんは通勤の時間には小暗い眺めという印象の、車や自転車などでは素通りしてしまう近所の小路が昼の光りに満ちていたのに気をとられて、するすると入り込んでしまう。

小さな花々が、それぞれ伸び伸びとしたたたずまいで気持ちよさそうに行儀よくならんでいるのに思わず足を止め、腰をかがめて顔を近づけてしまった。かがんで花を見ているあいだに人がひとり、私のうしろを足音も立てずに通りすぎて行った。










ラナンキュラス。
キンホウゲ科の一種。


















 日を浴びて真上を向けり金鳳花