過日東京に雪が降ったときに春雷が鳴りわたり、ああ変わり目だ、季節の変わり目にいるのだな、という実感を持てたのだった。
あれから着実に春の訪れを確かめながらの日々を進んでいる。

ぼくの棲家では現在四匹の猫と住んでいるのだが、今日はめずらしく揃ってそれぞれが所定の位置に体を丸めて置物のように静止している。
どうやらそのなかの一匹が、ぼくが部屋を横切る足音に目ざめたようで、床にじかに腰をおろすと、ようやく最後になついてくれたいちばん小さな黒白がこちらに近づいてきて、膝に背中を押しあててきたのでゆっくりと鼻のあたまに指を近づけると、ひざをかこむようにして動かなくなってしまい、なんとなく身うごきがとれなくなってしまった。



・家猫の寝顔やさしく春めけり











それからしばらくしてから戸外へ出て一枚。






そのようにして春を待ちつつ今日も何冊かの本を手にしてくつろぎながら気だるい午後を過ごしていて、ふと或る詩に行きあたった。

先日と同じ雷でも、こちらは遠雷の出てくる詩だ。










夏の終わり

海沿いの国道

くすんだ青空

遠くかすかに、あれは雷の音?

バスを待つ女性

袖なしのシャツ

彼女の腕のかたち

遠い思い出

赤い靴

などとぼくが言葉を連ねていたら

姉が見て笑った

俳句にすればいいのよ

そう言って姉は、俳句にしてしまった

「遠雷や バス待つ女 赤い靴」



 姉が俳句にしてしまった













yours ーユアーズー 

片岡義男

角川文庫

平成3年3月10日 初版発行














(音源お借りしました)









片岡義男氏は1939年生まれ。日系二世の祖父を持ち、東京世田谷に育つ。大学在学中に小説を書いてデビュー。



昭和平成の人が書店に訪れた際にはこの作者、片岡義男氏の名前はおそらく新旧いづれかの書店の棚で目にしていることであろう。

「ぼくはプレスリーが好き」「スローなブギにしてくれ」「吹いていく風のバラッド」など、印象に残るタイトルの小説を書いている。

そんな片岡義男氏だが、彼の評価というものがどうやら定まらないらしい。

それはある意味で当然のことなのだろう。なぜなら彼ほど世間の評価とは一切関係のないところで、ただ書きたいことだけを書いているという人はいないだろうから。

現在でも現役作家としての人気を誇っているであろう片岡義男氏だが、実は古本の世界でもいまだ人気は衰えることなく、独自の着実な歩みをみせている。


本書はその片岡義男氏の手から生まれた六十編の詩、こころのなかの影の断片が収められている。



『昨年の冬のある日、ふと思いついた僕は、駅の売店にならんでいる女性雑誌のすべてを買い求め、腕に抱えて部屋へ持って帰った。一冊ずつページをくっていき、言葉を拾い、それを僕はノートブックに書きとめた。……………山頭火の句集が文庫本でたまたま手元にあった。収録してある句をすべて読み、気に入ったものを書きとめた。四つか五つのその句を、普通の散文で言い換えながらひとつにつなげていったら、やがて詩のようなものが出来た。それもこの本のなかにある。』(あとがきにかえて より)


山頭火と片岡義男、この組み合わせにうなってしまった。

山頭火の文庫本とはあの春陽堂版のことか…




片岡義男氏といえば、やはり小説家として有名なのだが、実は彼の書くエッセイというものがとてもよくて、ぼくは彼の全エッセイ・コレクションという一冊本を愛読している。