昨日まではペソアだったのだが…
さて、カヴァフィスである。
実は過日に己れのなかでずっと探していたにもかかわらず、取り逃した大きな獲物ががあり、何を隠そうその本がカヴァフィスだった。
なじみの古書店に顔を出したときに、あるじが顔をほころばせて近寄ってきて、その手から差し出したのがカヴァフィスの詩集だった。
探求書として伝言しておいたのである、訳は中井久夫訳と池澤夏樹訳があるが、訳は問わない、するとあるじは市場へ行ってそのカヴァフィスのために札入れして落としてきたとのことである。
しかしながらその詩集がそんなに逃げ足の早い本ではないとのお互いの認識で、棚に一日二日さらしてから私が買うということで話が合わさったため、その日は帰宅した。
翌日購めに行くと、なんとあの直後に買い手が現れて連れ帰ってしまったとのことで、久しぶりに悔し涙をのんだ私でありました。
カヴァフィスは私のなかでは勝手にひそかなブームとなっていたのだが、世間にはほかにも物数寄はいるらしい。
カヴァフィスはギリシャの詩人。
実際買っていった先客は二十代のギリシャ語に堪能な若者で、原文をすらすら読み書きできるような、将来性のある旺盛な若者らしい。
それからひと月がすぎたころ、またしてもカヴァフィスを落としてきたと瞳に力のこもった顔をこちらに向けてこう言った。
「また市場で競り落としてきたよ」
さらしものなぞにせずに、すぐさま連れ帰った次第である。
中井久夫の訳である。
しばしば帰って、私を捉えてくれ、
帰って来て私を捉えてほしい感覚よ。
身体の記憶が蘇る時、
昔の憧れが再び血管を貫き流れる時、
唇と肌が思い出し、
手に また触れ合うかの感覚が走る時、
しばしば帰って、私を捉えてくれ、深夜に
唇と肌が思い出す時……。
〝帰ってくれ〟 1912
カヴァフィス全詩集
中井久夫訳
みすず書房
1988年9月20日発行
そしてこちらは図書館で借りてきた池澤夏樹訳。
同じ詩をご紹介してみたい。
時おりは戻ってきてわたしに憑いておくれ
愛しい感覚よ、時おりは戻ってわたしに憑いておくれ——
肉体の記憶が目覚める時に、
昔の欲望が血の中をめぐる時、
唇と肌が思い出す時に、
あるいは手にまた触れると感じられる時に。
時おりは夜戻ってきてわたしに憑いておくれ
唇と肌が思い出す時に……
〝戻っておくれ〟
カヴァフィス全詩
C.P.カヴァフィス
訳者 池澤夏樹
2018年9月25日
初版第1刷
発行所 書肆山田
《訳違いの同じ作品を二つご紹介してみたが、老人の過去の官能的な情景、その追憶への追想が素朴にあらわされている。その直情が却って生々しく、真に迫ってくる。》
カヴァフィスの詩はすべて短詩であり、無韻詩だという。
官庁用語から卑語までを駆使し、独自の詩境に至った。
みずからの経験を強い主観をその推進力とし、想像力の助けを借りて勇気を持って生きて詩作に臨んだカヴァフィス。
〝勇気なくば人生にあらず——〟
こしかたをありがたきものとして受け入れつつ、人生を歩んだカヴァフィスの詩を、私はこれからも折にふれて繙くこととなろう。