久しぶりに話題に浮上したのが二人ともよく知ってる或る男の話で、その男がひとりで部屋にいて、なにか変な音が聴こえてくるからと音のする方向にあったラジカセをいじり出したのだが、その変な音が鳴りやまないということで、工具を持ち出してきてラジカセを分解してしまった、しかしながら分解してもまだ音が聴こえる、一向に止まらない、どこだどこだとあたりに耳を澄まして聴いていると、こんどはなにやらキッチンのシンクのほうから音が迫り上がって来ているようだ…さらに耳を澄ますとやはり音がしている…止まらない、なんとか止めようとして悪戦苦闘しているうちに、シンク下の水道管を外してしまった。気がついたら先ほどのその音が鳴っているのか鳴り止んでいるのかももう分からず、ただぶっ壊れた水道管とぶっ壊れたラジカセが部屋のなかにぐしゃぐしゃになっていて、自分ではもう直すことができなくなってしまっている…そんなイカれた或る男の話を思い出し、電話口でふたりともこめかみが痛くなるまで笑ってしまった。
「でもあれってさあ、あいつのいってたその音って、そもそも幻聴なんでしょう?」
「そうに決まってるじゃん、でもなんでもすぐに壊しちゃったり分解しちゃったりって凄いよねえ」
「直せないんだったらバラさなきゃいいのにね」
「うん、戻せないんだったら普通バラさないけど、チャレンジャーっているんだねえ」
「スジガネ入りだね」
「受けるね」
その男は立派な中毒者だった。
消息は杳として知れない。
おそらくもう生きてはいないだろう。
噂ひとつ聴かない。
おれは休むことができない。おれの人生は不眠症にかかっていて、おれは仕事もせず、眠りもせず、ひたすら目をさましている。よこに寝た肉体のうえに魂が立っているかと思えば、立っている肉体のうえに魂が寝たりするけれども、おれは一睡もせず、背骨はほの暗い灯りをともしつづけ、それを消すことができない。おれをそのように眠らせてくれないのは、慎重さというものではなかろう。というのは、探し、探しあぐねているとき、まったくふいに自分の探しているものが見つかることがあるからだ。自分が探しているものが何であるかわからないためである。
【おれは休むことができない】
水彩 1949
ミショー詩集
アンリ・ミショー
小島俊明訳編
思潮社
1977年6月1日第8刷発行
アンリ・ミショーの名前を知ったのは平野威馬雄(平野レミさんの父君)の「隠者の告白」を読んでいてのことだった。
その後にミショーの詩集を入手して読んでみたが、平野威馬雄と一緒で「どう転んでもジャンキーな人」といったところであろうか。
ミショーはメスカリンの効果についての研究に従事していた。
スジガネ入り、ですね…