石原慎太郎氏が亡くなった。







(ジャズが嫌いな人はスルーしてください)







昭和四十年代生まれの私の石原慎太郎体験というものは、確か二十歳くらいであったと記憶している。

それよりもまえに村上龍と中上健次というふたりからの洗礼を受けていた私は、そのふたりの対談で名前のあがっていた石原慎太郎という人の本を読んでみたくなり、新潮文庫版「太陽の季節」を入手し、すぐさま読了した。
「太陽の季節」は、因襲的なものに対する反抗を、若者の生態を通して描いたものだった。そこで使われている文章というものがとても威勢が良く、なんとなくヘミングウェイを彷彿とさせるものだった。
その後、三島由紀夫と石原との対談などにも目を通し、もう少し石原慎太郎という作家に興味を持った。

「太陽の季節」「処刑の部屋」「狂った果実」を経て「ファンキー・ジャンプ」の実験的なノリにはおもわず感心してしまった。
しかし「完全な遊戯」を読んだときには「ここまで書いてしまったら、ミもフタもないではないか。」とテンションがダウンしてしまった。

また長篇小説「亀裂」に至っては、読了せずに放り投げてしまったのだが、文章の係り結びなどの多少の混乱などものともせずに、グイグイとうねりながらドライヴして突き進むその悪文スタイルは、それはそれで悪くないとおもった。(内容はさておいて)
石原慎太郎は長篇小説においてもはなから美的構築なぞ意識してはいないような書きっぷりをしている。

そしていまの時代になり、あらためて石原慎太郎氏の作品を並べてみると、ベストセラーの多い作家だった。
「太陽の季節」
「弟」
『「NO」と言える日本』(ソニーの会長・盛田昭夫氏との共著)
「僕は結婚しない」
「老いてこそ人生」
「天才」

それに比べて思いのほか、受賞作が少ない作家でもある。
「太陽の季節」(文學界新人賞・芥川賞)
「化石の森」(芸術選奨文部大臣賞)
「生還」(平林たい子文学賞)


石原慎太郎に関する著作は膨大な量が刊行されており、また、そのなかで石原の文章に言及する著作としては三島由紀夫のものと江藤淳のものに記されていて、それぞれ面白く読めた。

三島由紀夫がスーパー・スターであるならば、さしずめ石原慎太郎は、エキセントリック・スターといったところであろうか。



左利きの物書きがこの世からひとり、いなくなった。






孤独なる戴冠式に誘はれ
黒鳥一羽水底に消ゆ





音拝借