相反する | 浴室

相反する

頭の中の二人のわたしは、それはそれはもうご丁寧に


お二人の意見を聞かせてくださるけれども


それを調整するわたし、もしくはその二人の中から意見を判断するわたしは


最近いつも追いつかない


もしくは、第三者的なわたしが、何かから逃れるために、その二人をさえぎる程の


強い何かを言い聞かせて「わたし」を動かすのかもしれない



思い込みなのか、思い込みではないのかが判断できないけれども


もし思い込みだとしたのならば、それは何かから逃れる為の手段だと考える



そうでもしないとやっていけないのかしら、わたし


と、過去の日記を読み返してみて、感じた



好きだと思わないとやっていけない?


もしくは、好きだと思っていた方が苦痛ではない?もう苦痛に飽きた?



甘い言葉を吐いて、ねだるわたしは偽物なのだろうか


体と心は裏腹?それとも、体は正直で、心が嘘つき?



「どうせなら、楽しんだ方が良いよ」


と、どこかでわたしが囁いた時があった気がする


そのわたしが、どこかでずっと、コントロールしていたのであろうか



確かに、そう考えると、疲労感とか、顔の表情の差異だとか


なんだかとても違う気がする


行く前のわたしと、最中のわたしと、帰るわたしは違う気がする


でも、その場で笑っているわたしに、嘘は無い気がする


…気がするだけで、あるのかな?



常に矛盾した感情を抱き続けるわたしは、一体何が本物なのかが判らない


ふと、笑っている瞬間に、横切る何かが、本物なのだろうか



演じきる、なりきるということが、当たり前になってきて


ホントウに、その時間わたしはそうやって存在するのだけども


それは前からわたしが望んでいた、その時用のわたしが確立されたということで


それ以外の時の冷静なわたしは、その時は封印されているのであろうか



もし何も本物でなければ、わたしは何をわたしとして確立して


信じて生きていけば良いのだろうか



他人にレッテルを貼るより、自分にレッテルを貼る方が難しい



人は「冷静なんだね、やっぱり頭が良いね」とわたしのことを言うけれども


ホントウにそれだけなのであろうか



答えの出ない螺旋階段をいつまでも上り続けては下るけれども


それはわたしが死ぬまで、判らない気がする



愛しいと思う気持ち、どうやったらわたしの為に動いてくれるのだろうという気持ち


憎たらしいと思う気持ち、どこで折り合いをつけようかと考えるわたし


みんなみんなわたし、でもどれがわたしでどのわたしを信じれば良いのか


判らない、何が幸せなのかが判らない



一つの感情で「わたし」が埋め尽くされる瞬間を、今もずっと待っている