観自在菩薩と観世音菩薩その違いに込められた意味とは? | さくらんぼ東根駅から車で1分 東根市内で整体院をお探しなら「よくなる整体院東根」へ

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院長の菅井広孝です。(^-^)




前回からのつづき。

般若心経は大乗仏教の空・般若思想を説いた般若経典を

玄奘三蔵が漢訳したものです。


漢訳にとどまらず、翻訳作業というのは意訳という部分が重要になってきます。

直訳だと語感やニュアンスが伝わらないことがあるからです。

そのため、意訳によって作者の意図するところを伝えるわけですが、

これは翻訳者のセンス、理解度、考えが現れてくると言われています。

観世音菩薩

般若心経は、観自在菩薩・・・

と始まりますが、こんな仏様は本来存在しないようです。

世音菩薩なら聞いたことありますね。


玄奘三蔵がその人生で見出した生き方

人間は弱く醜い。

しかし、弱くても醜くても、そんな自分で生きていくしかない。

弱い自分を知り、醜い自分を知り、

その弱さや醜さを自分で克服して生きるしかない!


という考えから、

あえて自在菩薩と漢訳したのではないか?

駒澤大学の吉村教授は考えているようです。



と、これだけでは分かりにくいですね。それぞれ解説すると、

世音菩薩・・・誰かに助けてほしい、救って欲しい。それを菩薩様(外部)に求める心です。

自在菩薩・・・「在」とは命。自分の中に菩薩を見る、と訳してもいいかもしれません。自分が自分を助け、そして救ってくれるもの。

玄奘三蔵は過去の経験も踏まえて、

そんな風に考えて、【観自在菩薩】と漢訳したのではないか?

という事でした。


これを聞いて、なるほどぉ~!

確かに、世の中に救いを求めても何も解決しません。

自分自身で解決するしかないことばかり。


般若心経の一文字一文字に

玄奘三蔵の生き方、考え方がしっかりと反映されてるんですね~

般若心経が好きになってきました。(笑)